文科省の「ご講話」拝聴

 一昨日、11:50に新青丸を辞去すると、私は県庁(厳密には県庁裏の宮城県自治会館)に向かった。13時から、「みやぎ産業人材育成プラットフォーム研究会」という会議に出席し、文科省のお役人(国立政策研究所 生徒指導・進路センター 総括研究員)長田徹氏の「ご講話」を拝聴するためである。演題は「キャリア教育の現状と課題〜震災からの復興と地方創生に向けて」。
 今月初めに案内の文書を受け取った時には、「各校1名」などと出席の割り当てがあったわけではなく、むしろ「会場の都合上、参加者は先着50名までとさせていただきます」という制限を必要とするような書き方だったので、わざわざ行こうなどという気はなかったのだが、その後県から、申し込みが少ないからぜひ出席されたし、みたいな文書が(確か2度?)来たこともあって、行かざるを得なくなった。
 温泉泊まり明けだし、時間帯からいっても睡魔との闘いはつらそうだな、などと思っていたのだが、眠いとも思わず、ほどほどに楽しく、あれこれ考えながら真面目に聞いていた。
 まず最初に、今時の高校生に関する文科省の分析。
・自己肯定感がとても低く、自分に自信がない。
次に、同じく文科省による高校生の学習の特徴についての分析。
・勉強に対して興味関心が希薄である。
・将来との関連性が見えないままに学んでいる。
・受験や入社後に知識が剥落する。
 諸外国との比較に関するデータを見ながら、これらの話が始まった時、私は「来た、来た・・・」と思った。文科省によるいろいろな発信の機会に接していつも思うのは、現状分析のまともさと、それを解決させるための提案のくだらなさの極端なまでのアンバランスだ。一昨年、国語の教育課程研修会に出席した時の記事(→こちら)などお読みいただくと少し分かると思うのだが、データがあるから現状分析はしないわけにはいかない、官僚はお利口さん達だからそのような机上の作業はよくできる、しかし、そこを出発点として対策を考えるのではなく、対策は始めから決まっている、よって両者の辻褄が合うわけがない、ということなのだ。これが、日本の指導的立場にある人たち(官僚ではなく、政治家かな?)の知性だと思うと、恐怖さえ感じるほどである。
 では、一昨日は?
 長田氏の提案の柱は、次回の学習指導要領改定の柱でもあるらしいのだが、「学校教育に外の風を」である。社会の動きを学校に取り込み、これからの人生を前向きに考えさせるということであり、更に具体的に言えば、活力ある社会の構築のために奮闘する人(生き生きとした大人)との出会いの場を高校生に提供すること、だと言う。これはなかなかいい線を行っていると思う。
 もちろん、上で確認したような高校生の内面や学びのスタイルの問題は、目前の利益を追求する産業社会と、物言わぬ国民作りのために現実と密着した知を学校から剥奪してきた政治家(文科省)が作り出してきたものに違いなく、その根源的な部分に手を触れることなく、末端部分だけをいじって解決に持ち込もうとすれば、ことは更に面倒になる、というのはいつも私が言うとおりである。しかし、私のようなことを言っていたら、問題解決へ向けての一歩はいつまでも踏み出せないということになってしまう(という問題を私は一応自覚している=笑)。だとすれば、何が出来るか?ということを考えた場合、現実の社会との接点を増やす中で刺激を受けたり、校外活動において「自己有用感」(長田氏の言葉)を持たせたりすることは大切だ。
 話の中で提示される実践事例も、それなりに値打ちのある事例だったのだが、その中心となる荒れた某高校の立て直し事例は、低迷する現状に問題意識を持った管理職が、粘り強く学校改革に努め、その結果、素晴らしい成果が上がった、というストーリーだった。文科省の発想としては、学校はあくまでも管理職の高い意識と指導力によってこそ変わる、平教員による下からの変革は起こり得ない、いや、起こるべきではない、ということなのかな?と勘ぐってしまった。どうなんだろう?誰が言い出そうが、いい方向に変わるならそれでいい、そのきっかけは誰にでも、どこにでもある、と私なんかは思うのだけれど・・・。全体としていい話だったとは言え、その辺からは文科省臭がぷんぷんしていた。
 ともかく、さすがはお役人。手際よく話をして、時間通り、芸術的と言ってよいほどぴったりと話を終えた。その後は、指名式の強いられた質問が何件かあり、これまた予定通りの時間に「研究会」は終了。私はあわてて会場を飛び出すと、車で次の出張先(石巻近郊の某社)に急いだのであった。