もうかればいい(2)

 とうとうIR法(統合型リゾート施設整備推進法)が可決・成立した。日本にもカジノができる。たくさんの深刻な問題が指摘されつつ、最後は、自民党がやると決めた以上はやるのだ、という採決だった。公明党党首が反対票を投じたのが、せめてもの慰め。いや、演出か?
 カジノの問題として大きいのは、やはりギャンブル依存症のことだろう。依存症対策を進めながら、カジノを作るというのは、病気の原因を生み出しながら、治療のための手段とシステムを作るということである。病気を作るのは容易だが、一度患った病気を治すのはたいへん。精神疾患であればなおさらで、完治させるのは難しい場合が多い。道義的にも大きな問題だが、社会保障費の増大が深刻な社会問題化している今、経済的にもそんな考え方が許されるというのは驚きだ。
 昨日の朝日新聞で知ったこと。一昨日の参議院内閣委員会で、自民党細田総務会長がギャンブル依存症についての質問に答え、以下のような答弁をしたそうだ。

「子供たちがスマホゲームにおぼれて勉強しない。大学生も勉強しない。日本全体が一種の依存症になってきていることにどう取り組むかが非常に大事だ。」

 子供たちのスマホ依存症に対する危機感を示す言葉などと誤解してはいけない。IR法案の提案者による答弁である。明らかに、「依存症なんて、スマホで既に蔓延しているのだから、カジノだけをとやかく言うのはおかしい」という意味である。ついでに言えば、パチンコもだろう。これが国会でまかり通る。昨日と同じ。要はもうかればいい、金がすべて、ということだ。(参考→パチンコギャンブル依存症スマホ類について)
 思い出すのは、先月の半ばのこと。2週間ほどにわたって、石巻市内に人があふれかえった。たかだか15万人ほどの街に、連日1万人以上の人がやって来たらしいから、それはそれは驚くような人出であった。
 私は事情に非常に疎いが、なんでも「ポケモンGO」というゲームで、希少なキャラクターが石巻に出現するようにセッティングされ、なんとかスポットというものになったのだそうだ。街中をぞろぞろと歩く人々が、大人も子供も、老人も若者も、手元に持ったスマホをのぞき込みながら、うつむき加減に歩いている。亡霊が行進をしているようだと思って、気味悪くなってきた。見れば、車を運転している人も手元でスマホをのぞいている。そして大渋滞だ。
 たかだかスマホの中に作り出された虚構のキャラクターを求めて、全国から人が集まり、県外ナンバーの車が走り回る。これが人間が求め続けてきた「豊かさ」なのだろうか。「小人閑居して不善を為す。」豊かさなどないに越したことはない。
 なんという嫌な世の中だろう。スマホのゲームやカジノにのめり込んだ人間が、そんな自分のあり方について、破綻する前に疑いを持つことはまれである。私の学校の生徒でもそうだが、私が授業中の携帯電話の使用を咎め、取り上げたりしようとすると(←学校ルール)、「平居は自分が携帯持ってねぇから、ひがんでんだ・・・」という嘲笑が起きる。
 私は一応、彼らの言い分に理がないかどうかは立ち止まって考える。だが、どうしても「理」を見出すことは出来ない。ただただ哀しく腹立たしい気持ちになるだけである。「腹立たしい」は、子供にこんなばかげたものを買い与える大人に対しての腹立たしさだ。こうして人間はガラガラと内部崩壊を起こしていく。近い将来、支払わなければならなくなる代償は、絶望的なほど大きなものになるだろう。