保護主義は悪いか?

 今日は月曜日。朝、自転車で駅に向かう途中、例のHな映画館(→こちら)の裏口を通る。少しどきどきする。Hな映画の場面を想像して、ではない。先日書いたとおり(→こちら)、どうも最近は、土日だけの営業で、しかも、次の週の土日も営業するかどうかは、土日が終わってから考える、といった風だからだ。客が入らなければ、いつ「もう来週はやらない」となってもおかしくない状態である。
 私は、もう一度映画を見に行きたいとは思わないし、そんな場所にどれほどの存在価値があるかも分からないのだが、とにかく希少な昭和の遺産であることは間違いないので、「もう来週はやらない」となれば寂しいような気はする。月曜日の朝は、この映画館の寿命があと1週間延びたかどうか、その運命を知る瞬間なのである。
 今日も、「3日(土)、4日(日)営業いたします」との張り紙がしてあった。ああ、また命は1週間延びたらしい。なんとなくほっとする。最近、月曜日の朝はこの繰り返し。

 全然関係ない話。G7が終了した。アメリカが妥協した結果、「保護主義と闘う」ことを首脳宣言に盛り込むことで、なんとか合意できたらしい。パリ協定にアメリカが留まるかどうかという大問題は残ったものの、最低限のノルマはクリアーしたことになるのだろう。だが、果たして保護主義保護貿易)は本当に悪いことなのだろうか?
 あまり詳しい事情は分かっていないが、私は自由貿易を、必ずしもいいとは思っていない。それによって、消費と格差が大きくなったと考えているからだ。先日、中国で開かれた「一帯一路」なる会議でも、大きなエリア内の港湾・交通網を整備し、生産と流通量の拡大を目指すことが声高に語られたらしいが、見境のない目先の利益主義であると感じる。膨大なエネルギーの消費、地球環境の悪化、間違いなく拡大するであろう格差、といったものに思いを致しては、ほとんど絶望的に暗い気持ちになる。それが、世界中から集まった首脳たちによって支持されるのだから、本当に困ったものである。
 確かに、経済成長以外に人間の幸せが考えられないような人々にとっては、一帯一路のような経済圏構想は素晴らしいもので、自由貿易こそ今の世にふさわしい、ということになるのだろう。
 もちろん、アメリカが「アメリカ・ファースト」と言って保護主義に走ろうとするのは、資源と市場の両方を持つアメリカだから出来ることであり、それはそれで多分にエゴイスティックな様相を帯びる。一方、日本はエゴイスティックでないかと言えば、決してそんなことはない。資源がなく、市場も先細りしているからこそ、大義名分を立てて自由貿易を守ろうとしているに過ぎない、という風にも見える。言っていることは正反対にも見えるが、自分の利益への執念という点で基本的に違いはない。
 私は、「保護貿易か?自由貿易か?」という以前に、自給自足が成り立つ国作りをすべきだと考えている。それが最大の安全保障だ。逆に言えば、世界中に広がる貿易ネットワークによって分業制状態を作り、農業を軽視するなど、国の産業構造をゆがんだものにしてしまえば、自分たちの思い通りの貿易に相手国が応じてくれない時に、自分たちが生き延びるため、力によって圧力をかけるということになりかねない。
 残念ながら、世界の各国は、気象条件にも土地の広さにも資源の有無にも大きなアンバランスがある。従って、自給自足を基本とすれば、豊かな生活が出来る国と貧困にあえぐ国とが生まれる。日本は石油を持たないという一事によって、現在の感覚からすれば、どちらかというと貧困にあえぐ国に入るかも知れない。また、日本のように、国の範囲が自然的に決めやすい国(島国)ならよいが、地続きの国境を持つ国は、より豊かな国にするために、かえって国境紛争のリスクは高まるのかも知れない。
 それでも、長期的に安定した生活をしようと思えば、まず自給自足を可能にすることが原点であろう。貿易は、あくまでも+αであるべきだ。少なくとも、貿易を大々的に展開して、発展途上国への売り込みを図りながら、経済成長!経済成長!と血道を上げることは間違いだ。「足ることを知る。」この素朴な知恵こそ大切にせねば。アメリカ大統領の顔を思い浮かべながら、条件反射で「保護主義」に反発してはいけないのではないか?