「宗教」の壁(1)

 その昔、私がまだ石巻に住むようになる前のことだが、「エホバの証人」から布教に来たおじさんに付き合ったことがある。「エホバの証人」とはキリスト教の一派であるが、輸血拒否で有名、と言うより、悪名が高くなった感じがする。教義をよく知っているわけではない。私はイスラム教であろうが、キリスト教であろうが、仏教であろうが、宗教に関わっている人に寛容なつもりなので、「エホバの証人」だからといって邪険に追い払ったりはしない。「付き合った」というのは、布教に関するお話しを気長に拝聴した、ということである。
 『聖書』が私の愛読書である、という話は、このブログにもたびたび書いた(例えば→こちら)。宗教書ではなく、あくまでも人間の真実の姿を簡潔に描いたことにおいて、比類のない名著だと思っている。内容を把握し、理解しているという自負もあって、エホバのおじさんのお話を拝聴するだけではなく、彼らの土俵である『聖書』に基づき、彼のお話を論破してやろう、という気もなくはなかった。私もまだ若かったのである。
 エホバのおじさんとのお話は、なんと、毎回1時間、5回くらいに及んだだろうと思う。お話だけではない。時に、帰宅すると長いお手紙がポストに入っていたりもした。
 根負けしたのは私である。穏やかな紳士ではあったが、もうこれ以上付き合えない、私は完全に論破したつもりなのに、相手はいっこうにめげる風がない、話はどこまで行ってもまったくかみ合わない、と思って、訪問をお断りした。その時、骨身に染みたのは、宗教というものを理屈で受けて立った自分の愚かさである。言い換えれば、宗教というのは本当に「信じる」ものであって、理屈など通用しないのだ、ということでもあった。
 一見話は変わるが、最近、『日本会議の正体』(青木理著、平凡社新書、2016年)という本を読んだ。日本会議という右翼的な組織が、日本の政界の黒幕的存在で、中でも、現在の首相などはこの集団から全面的な支持を得ている、というような話は耳にしていた。私には縁のない組織なのだが、一体どのような組織なのだろう?なかなか評判の本だし、一度読んで勉強してみるか、と思って買ってきた。
 一読して、「手強い!!」と思った。
日本会議という巨大な右派団体を作り、育て上げた者たち(中略)は、生長の家を創唱した怪人物・谷口雅春の政治的な教えを熱心に信奉し(中略)続け、右派の政治運動と右派の組織作りに全精力を傾けつづけてきた。(中略)何よりもそうした者たちの根っこには「宗教心」がある。一般の感覚ではなかなかはかりしれないが、幼い頃から植えつけられた「宗教心」は容易に揺るがず、容易に変わることがない。変えることもできない。人からどう見られようと気にせず、あきらめず、信ずるところに向かってひたすらまっすぐ歩を進めていく。」
 理屈の通じない「宗教」が背景にあるとすれば、公の場における議論も成り立たないわけだ。ジョナサン・ハイトの「まず直感、それから戦略的思考」という言葉(→こちら)を思い出す。ここに、2名の元最高裁判所長官や約280人の国会議員を始めとする4万人近い人々が集っているというのは、恐るべきことである。
 その日本会議の主張の中心を、作者は次の5点に集約する。
天皇、皇室、天皇制の護持とその崇敬
② 現行憲法とそれに象徴される戦後体制の打破
③ 「愛国的」な教育の推進
④ 「伝統的」な家族観の固守
⑤ 「自虐的」な歴史観の否定
 そして、その上で彼らの「「宗教心」に裏打ちされた運動や主張は、時に近代民主主義の大原則を容易に逸脱し、踏み越え、踏みにじる。」日本会議の事務総長は「天皇中心主義の賛美と国民主権の否定。祭政一致への限りない憧憬と政教分離の否定。日本は世界にも稀な伝統を持つ国家であり、国民主権政教分離などという思想は国柄に合わない」という主張を「平気の平左で口にしてきた」とも言う。(続く)