一粒の牡蠣の背後に・・・

 冬将軍がやって来た。朝起きると、外は真っ白。ああ、今日は出勤しなくていいようにしてきてよかった、とつくづく思った。石巻真冬日を記録した。最低気温もマイナス4度を下回ったらしい。窓ふきや網戸洗いなど、外仕事をしようと思っていたが、少し晴れたかと思うと、次の瞬間にはなかなか激しい吹雪、という具合で、仕事が全然進まなかった。
 午後、ちょっとした用事で、牡鹿半島の中間付近、狐崎(きつねざき)という所まで行った。こんな日に車の運転などしたくないなぁ、とは思ったものの、時間の取れる日なんて限られているし、狐崎の友人に電話をしたら、牡鹿半島は雪なんか積もっていない、と言うので行ったのである。確かに、月の浦か侍浜あたりから東は雪がなかったが、そこまではたいへん。特に渡波から風越峠までのぐねぐね道は嫌だった。
 実入りがよくて値段も上がる、牡蠣出荷の最盛期である。しかし、海がこれだけ荒れると、牡蠣を揚げに行くのも容易でない。加えて、ついに、狐崎でもノロウィルスが発生し、生食用の出荷を止めたそうである。昨年は12月早々にノロが発生し、漁家に大きなダメージを与えた。今年は、10月に襲来した台風のために、養殖用のロープから牡蠣が大量に落下してしまい、ひどい家だとその量は3分の2に及ぶという。そんな家では、1月早々に品切れになる可能性があるらしい。加えて最盛期にノロでは泣くに泣けない。自然相手の仕事は厳しい。
 私が訪ねた友人も牡蠣生産者なのだが、この家は比較的被害が軽いらしい。ノロウィルスについては、同じ海で養殖している都合、1軒だけ無風というわけにはいかないので、被害があるそうだが、台風の影響はほとんど受けず、来春までそれなりの量が出荷できそうだ、と言っていた。
 それは偶然ではなく、それなりの工夫と努力があってのことらしい。水産高校にいた時にも聞いたことのないような話で、それを聞くのは楽しかった。
 海には牡蠣の卵がたくさん浮遊している。そこにホタテの貝殻をロープに付けて下ろしておくと、表面にたくさんの牡蠣が付着し、海水の養分を取り込んで成長していく。ところが、海があまりにも豊かであるために、ただ下ろしておくと、たくさんの牡蠣が付き過ぎて団子になり、1個1個の成長も悪くなれば、海流の影響も受けやすくなり、落ちる時にはまとめてたくさん落ちる、ということにもなってしまう。
 そこで友人は、牡蠣の付きが薄い種牡蠣をわざわざ松島湾から仕入れた上、夏の間に船にボイラーを積んで沖に出、種牡蠣の着いたロープを湯通しする、一度浜に持ち帰って洗濯機のようなものに入れて遠心力を加える、といった作業をしたそうだ。そうすることで、強くて大きくなれる種牡蠣だけが残り、弱いものは死んだり振り落とされたりしてしまう。その結果、台風でも落下せず、大きくて実入りのよい牡蠣がたくさん採れるようになった、と言っていた。これはガバガバ大もうけ、笑いが止まらん、といった風は微塵もなく、それら夏場の作業は本当に大変だった、まぁ、結果が出たからよかったものの・・・と、せいぜいのところ一安心、むしろ、本当にくたびれた、といった表情をしていた。
 もらってきた、いかにも牡鹿半島産といった、大きくてぷりぷりした一流の牡蠣を目の前に、わたしの頭に浮かんできたのは、言うまでもなく、「文化の質はかけた手間暇に比例する」というあの格言(→解説)である。
 帰りは道路が凍ってツルツルぴかぴか。日和大橋では事故もあったらしく、どの道も激しい渋滞だった。狐崎を往復するのに、行きは45分だったが、帰りは2時間20分。時間ももったいないが、私は例によって、路上にアイドリング状態で止まっているたくさんの車(もちろん自分の車も含めて)が、どれほど燃料を空費したかにおののくのであった。