燃えた「こけし」

 日曜日は、体の不自由な老母を連れて、宮城県南部・亘理町のリンゴ農家を訪ねた。温暖な宮城県の湘南、イチゴの産地として名高い亘理(わたり)町には、意外にも少なからぬリンゴ農園がある。京都府出身で、関西暮らしの長い母親は、お歳暮としてそこから北国の果物リンゴを親戚・知人に送るのを常としている。そこで、毎年12月半ばに私が母を連れて行くのである。もちろん、実際には行かず、電話やFAXで注文し、お金を振り込むというやり方でも用は足りるのだが、自宅用のリンゴの入手、中でも大量にタダでもらえるジャム用リンゴは、実際に行かないことには入手できない(→参考記事)。行きつけの農家とのコミュニケーションも大切だ。
 ところが、いつもお願いしていたリンゴ農家が、昨年、主人の死亡と奥さんの高齢、後継者の不在のため廃業した。そこで、農園管理を引き継いだ遠い親戚とやらを紹介してもらい、そこに行くことになった。昨年まで行っていた農家のすぐ近くの家なのだが、事情が分からないというのは恐ろしいものである。発送そのものは問題なく終わったのだが、肝心のジャム用リンゴがない。聞けば、わずか2~3日前に、ジュース用として出してしまったのだという。ああ、残念!今年は、我が家における正月恒例のジャム作りもナシだ。
 廃業と言えば、母ではなく、私がお歳暮として牡蛎を送っていた牡鹿半島・狐崎の牡蛎漁家(→参考記事)も、高齢を理由に昨年で廃業した。別の漁家の紹介をお願いしたところ、他の業者は10㎏単位で買ってくれるなら、と言っていると言われた。小分けにして発送するのは自分で、ということだ。我が家からは遠いし、鮮度が命のものであることもあって、とてもそんなことはできないと諦めた。牡蛎以外の何かを探そうかとも思ったのだが、根強いファンもいるし、あの牡鹿半島牡蛎に代わる地場産品があるとすれば、鯨の肉(特に尾の身)なのだが、牡蠣と同じ値段で石けん1個くらいの大きさの肉しか買えない。すると、送っても、価値を理解してもらえるかどうか分からない。結局、手を尽くして、別の浜に業者を見つけたのだが、果たして、昨年までと同等以上の質のものを送ってもらえるかどうかは分からない。「初めて」は難しい。
 ところで、日曜日に母のところに行く途中、塩釜を通過する時に、少し寄り道をした。行ったのはある飲み屋である。
 12月6日、私はその店で登山関係の気の置けない友人3人と酒を飲んでいた。最もお気に入りの飲み屋のうちの一軒である。紹介しておこう。「そば酒房 こけし」と言う。
 元の勤務先である塩釜高校西キャンパスのすぐ近くなのだが、安っぽくうらぶれた感じの建物で、知らない人間が気軽に入れる雰囲気ではない。気にしつつも入れずにいたところ、ある同僚が「けっこういい店ですよ」と言うので、塩釜勤務を始めてから1年以上も経った頃、人を誘って行ってみた。
 50歳前後の塩釜高校卒業生が店主で、バイトなのか奥さんなのか知らないが、すこし年上と思われる女性が給仕をしていた。10人くらいで宴会のできる座敷と、テーブル席、カウンターで、20名満席といった規模だ。「そば酒房」とあるとおり、飲み屋であると同時に手打ちそばを食べさせる。メニューは決して多くないが、味はいい。置いている酒の種類は豊富で、しかも県外の珍しい酒が多い。私は、その後3~4ヶ月に一度くらいの頻度で出入りするようになった。そして直近では12月6日だったのである。
 翌12月7日の夕方6時過ぎ、某塩釜高校教員からメールが来た。私は、スマホのような端末を持っていないので、毎晩9時過ぎくらいに自宅のPCを開いた時だけメールをチェックする。ところが、この日は全く偶然、帰宅が早く、ちょっとした事情があって6時過ぎにPCを開いた。すると、ほとんどそのタイミングでメールが来たのである。「こけしが燃えています」と短い一文だけが書かれている。「こけし」に「 」が付いていなかったこともあって、それが「そば酒房 こけし」であると気付くまでに数秒以上かかった。最初は暗号かと思ったほどである。それほどまでに唐突で、あり得ない出来事だった。
 その後、ネットで情報収集をしたところ、厨房から火が出て、最終的には全焼、店主は火傷で病院に搬送されたが命に別状はない、ということが分かった。前夜その店で呑んでいただけに、このニュースは衝撃だった。
 日曜日に寄り道をした飲み屋とは、その「こけし」である。確かに、無残な焼け焦げた家の残骸になっていた。なぜか、木の箪笥ひとつだけが、かなり軽傷で焼け残っていた。隣家に延焼しなかったのは幸いだったが、火事というのは恐ろしいものだ、と改めて思った。
 店主の火傷はどの程度のものだったのだろう?火事の報道で、私は店主が独り暮らしであることを初めて知ったのだが、今後はどこで何をして生活するのだろう?あの店がなくなってしまうのは惜しい。リンゴや牡蛎の事情とは全く違うにしても、「廃業」が最近やけに身近だっただけに、店の今後が気になる私であった。