いま求めて欲しい環境デザイン(ラボ第24回)

 先週の土曜日は「ラボ」第24回であった。コロナ後、何かと安定しないラボは、2回連続で会場を変え、今回は旧観慶丸商店での開催となった。1930年建築の石巻市初のデパートである。震災後に所有者が石巻市に寄贈し、2015年に市が文化財に指定、その後、耐震工事を経て、5年前から市の歴史・文化に関する展示およびイベント用の貸し出しスペースとして利用されている。レトロな雰囲気を帯びたタイル張り、3階建てのビルで、石巻旧市街を代表する有名な建物なのだが、市民歴34年の私も、入ったのはおそらく初めてであった。90年間建物を支えてきた木の柱を残しつつ、かなり大規模に鉄骨による補修が為されている。その鉄骨がむき出しなので、少しモダンで少しレトロな不思議空間だ。広々していて良いが、寒い。それはともかく・・・。
 今回登場した講師は、フリーランスの環境デザイナーで、山形大学の講師もしている阿部聡史氏。本ブログ7月25日記事(→こちら)に登場する「寒河江在住の若き有能な環境デザイナーA君」とは、この方である。私は以前、南浜復興祈念公園建設計画(正しくは活用計画か?)に関わった時に知り合い、自分で汗を流しながら詳細なる現地調査をし、しかも自然に対して謙虚な観点から分析・提言をする優れた環境デザイナーとして、共感と尊敬の念を抱くようになった。コロナによる活動休止から復活し、何かと準備が後手に回っているラボが、わずか1ヶ月あまり前に依頼して、無理矢理引き受けてもらった。
 演題は「いま求められる環境デザイン」。チラシに書いてもらったリードは、次のようなものである。

「環境デザインという分野を御存知ですか? 地勢や気候、生態系、歴史、文化、民俗などの自然と人間の相互関係から場所の風土を読み解き、建物や町並み、都市など私たちを取り囲む環境の持続可能で順応的なデザインを導き出すことが『環境デザイン』です。今回は環境デザインを取り巻く社会背景と環境デザインの有効性について、また、私が携わった石巻市の南浜地区復興祈念公園計画や福島県での環境施工実習(東北芸術工科大学との協同)などの具体的な取り組みについてお話します。」

 キーワードは「持続可能」。阿部氏の意識にある「持続可能」とは、トレンドを意識したパフォーマンス的な「持続可能」ではない。正真正銘、ごまかしナシの「持続可能」である。私が氏を信用しているのは、そのことが分かっているからだ。
 集まったのは、前回より少し増えて約20人。今回画期的だったのは、大学生が6人も来たことである。若者が多いと、気分が新鮮でとてもよい。終了後、場所を変えて行った懇親会も含めて活気があった。
 さて、肝心のお話。「環境デザイン」の歴史や基本的な方法論、概念の説明から説き起こし、海洋環境を事例に、環境というものがいかに広範囲に関係し合っているかということを語った後、南浜復興祈念公園や大学生と共同で取り組んだ福島県での環境施工実習を具体事例として紹介するというものだった。
 話の詳細に立ち入ることはできないが、以前から私が気になっていたのは、「で、環境デザイナーの仕事って、結局どのようにして生きてくるの?」ということであった。どんな調査や提言をしても、それを買ってくれる人がいなければ、仕事としては成り立たず、しかもその仕事は対象が広範囲で、個人の需要がある分野ではない。今回の講演の中でも、都市計画をする時に、自然面のみならず文化面も含めて、様々な要素についての調査・分析を行って行政に報告し、どこにどのようなものを作るか提言をする仕事だというのは分かるのだが、そのようなことを行政の人間がやっている場合も少なくないだろうし、環境デザイナーが何を報告・提言したところで、最終的に行政側が価値判断をするのであれば、環境デザイナーの報告・提案がまったく生きないことだってあり得る。温暖化問題がそうであるように、環境と経済は矛盾する場合が多く、行政は明らかに経済寄りなので、環境デザイナーの意見が行政の発想の逆を行くことも少なくないだろう。そうなると、面倒だから環境デザイナーには頼まない、もしくは、アリバイとして報告・提案は受けるが、真面目に受け止める気はない、ともなりかねない。
 そこで、こんな話を、会の終了後に少しだけ阿部氏に投げかけてみたところ、果たして、実際その通りなのだそうだ。だから、氏がいかに優れた環境デザイナーだったとしても、その仕事は、お世辞にも繁盛しているとは言えない。一方、これまた気になったので、氏が留学していたこともあるデンマーク(ヨーロッパ)ではどうなっているか尋ねてみると、案の定、環境デザイナーの意見は非常に尊重されていて、行政に対してほとんど命令に近い力を持つらしい。環境を大切にし、専門家を尊重する、やっぱりヨーロッパ人は偉いな、と思った。
 どんな優れた制度も人材も、それを生かすか殺すかは使う人間次第だ。ラボの懇談の中では、日本人が自然を尊重する気があるのかないのか、みたいな議論もあったけれども、私はむしろ利益を最優先させる結果として自然も環境も蔑ろにされている、と感じる。安っぽい金儲け主義である。哀しいかな、そんな土壌に、環境デザインは「猫に小判」であろう。
 金銭的な利益だけではなく、人間が自然と共存していくためには、もとい、自然の中で生きさせてもらい続けるためには(正に「持続可能」)、環境デザインという仕事が不可欠だ。そんな中で、阿部氏のような人がもっと尊重されるようにならなければ、未来は暗い。ラボで話を聞き、改めてそんなことを思った。