春の醍醐寺

 週末、本当は生徒3人を連れて山へ行く予定だったのだが、体調不良者が1人出たところ、他の2人はそれだけで山行そのものの中止を決めてしまった。これは決して昨今蔓延する過剰な「安全第一主義」の結果ではない。まったくただの軟弱である。水仙がちらほら咲き、海が真っ青に見える(=昨日の話。今日は曇り)温かく天気のよい週末を、自宅の居間で過ごせるのは有り難いが、なんだか変だなぁ、という違和感の方が少し強い。

 さて、和田岬から引き返した私は三宮駅阪急電車に乗り換え、京都を目指した。まずは桂離宮である。昨年、桂離宮と同じく宮内庁管理の仙洞御所を訪ねた時(→その時の記事)、近年配布されるようになった当日券というやつは案外入手が容易なようだ、キャンセル者が出たことによる枠もけっこうあるみたいだ、ということを感じた。そこで、いかに桂離宮と言えども、行けば入れるのではないだろうか?と思ったのである。桂駅で阪急の特急電車を降りると、歩いて桂離宮に向かった。少し遠回りしてしまったが、15分で着いた。それにしてもずいぶん閑散としているなぁ、と思ったら、「月曜日はお休みです」という札がぶら下げてある。ははは、これはどうしようもない。記憶に頼って、当初予定になかったことをしている上、スマホも持っていない私としては仕方のないことである。
 桂駅に戻る道すがら、どこへ行こうかなぁ?とあれこれ考えて、醍醐寺に行くことにした。山科の南にある有名なお寺(世界文化遺産指定)であるが、私はまだ行ったことがない。人々が醍醐寺と言ってありがたがる伽藍は下醍醐に過ぎず、その裏山(醍醐山)の頂上付近に上醍醐という領域があり、そこまで行かないと値打ちがない、しかし、そこへ行くには山道を往復で3時間近く歩かなければならない、という話をどこかで読んだことがあった。下醍醐を合わせると4時間は確保して見物に行かなければならないだろう、と思うと、なかなか足を運べなかったのである。今回の旅行は、K先生を訪ねるのが主目的とは言え、山登りがそれに勝るとも劣らない要素だったわけだから、醍醐山に上るというのは、その延長で考えてもうってつけだ。
 阪急電車四条河原町に出ると、市役所前から地下鉄に乗った。醍醐で下りると、そこから徒歩10分で醍醐寺の山門に着く。思ったとおり桜が満開だ。確かに観光客は多いが、ごった返していて見物もままならない、というほどではない。よく賑わっているなぁ、と笑っていられるレベルだ。以前感じたほど外国人比率も高くないようだ。拝観料は驚きの1500円。
 通常の観光ルートどおり、三宝院、伽藍と下醍醐を見物する。三宝院の庭園はとても優れたものである。五重塔はとても巨大に見えた。帰宅後調べてみると、江戸時代以前に作られた五重塔としては、4番目(東寺、興福寺法観寺の次)の高さに過ぎないようだが、少なくとも法観寺八坂の塔)よりは大きく見えた。本堂(金堂)は、朱塗りというのが私の趣味に合わない。落ち着いた焦げ茶色の建物が私は好きだ。
 観音堂を過ぎた所に裏口がある。一方通行、出るだけの裏口だ。それを出た所に女人堂という建物があって、それが上醍醐(醍醐山)への入り口になっている。昔、ここから上が女人禁制だったので、女の人は女人堂にお参りして上醍醐への参詣に替えたのだ。また500円の拝観料(入山料)が必要。入山料を集めているおじさんに、どれくらい時間がかかるか尋ねてみると、「さっき75歳の人が、上り45分、下り30分だったと言っていたよ。見物は何にもしないで、ただ往復するだけの時間だ」と言う。
 伽藍の賑わいと打って変わって、人はほとんどいない。一気に100分の1以下に減った感じだ。とてもいい山道である。伊勢神宮の森(→こちら)と同じく、聖なる森として寺が管理し、所定の登山道以外の通行を禁止しているからだろう。手つかずの森の美しさは格別である。幅2m強の山道も適度に整備されていて歩きやすい。途中にある水場(不動の滝)までは左側を清流が流れていて、その風情もなかなかだ。
 六甲山を歩いた時と同じペースで歩いていたら、30分であっけなく上醍醐の寺務所に着いてしまった。そこから醍醐山(454m)の頂上直下にかけての領域に、清瀧宮、薬師堂、五大堂、如意輪堂、開山堂といった国宝、重要文化財級の建物が建ち並ぶ。また、清瀧宮拝殿の近くには「醍醐水」の涌いている場所がある。
 実は、参拝客のほとんど来ないこの上醍醐こそ、元々の醍醐寺なのである。下醍醐は後から作られたいわば「オマケ」だ。空海の孫弟子である聖宝により、山岳密教の修行場としてこの山上に寺院が作られ、そこに涌いていた名水を醍醐水(美味なる水)と名付けたことにちなんで、寺院の名前を醍醐寺とした。だから、醍醐寺を訪ねるのなら、上醍醐に足を伸ばさなければその神髄に触れずに帰ることになってしまう。
 今でもこんこんと涌き続ける醍醐水を飲み、30分かけてのんびりと建物を見て歩いた後、元の山道を駆け下った。女人堂を出てから戻るまでの所要時間は1時間20分であった。宝蔵館という博物館をざっと見た後、地下鉄はつまらないので、今度はバスで四条河原町に戻った。
 思う所あって、本能寺の織田信長の墓に寄り道した後、例によって錦市場へ行き、魚力「はも」を食べる。これを食べないと、京都に来た気がしない。
 帰宅後知った話、上醍醐には何の案内表示もなかったけれど、実は更に奥まで道は延びていて、南へ行くと黄檗、東へ行くと岩間寺を経て石山寺方面、北へ行くと音羽山を経て京阪・大谷駅へと抜けられるらしい。まだ少々時間があっただけに、もったいなかったな、との思いが兆してくる。今回に関しては、仕方がなかったとも思うが、やはり思いつきで動いていると、十分なことはできないものだ。