モーツァルトって何者?

 理由はさておき、今更ながらの話、ゴールデンウィーク前半の中日である4月29日、名取市文化会館で行われた仙台フィルの演奏会に行った。もともと別の予定があって行けないはずだったのだが、そちらがキャンセルになってしまったため、これ幸いとのこのこ出かけて行ったのである。
 「特別演奏会 マイタウンコンサートin名取」と題されてはいるものの、実質は、ウィーンフィルの元コンサートマスター・ライナー・キュッヒルのオーケストラ伴奏付きリサイタルである。キュッヒルが指揮者なしで、少人数編制の仙台フィルとともに、シューベルトのロンド・イ長調モーツァルトの協奏曲第4番、ハイドンの協奏曲第1番、そして再びモーツァルトの協奏曲第5番を演奏するという、とても贅沢な演奏会だ。子どもたちを何百人か招待します、という話があったと思うが、もったいないことに、半分以上空席であった。ただし、拍手の様子を見ていると、客の質はとても高かったと思う。
 キュッヒルの演奏は、ムジークフェライン弦楽四重奏団、ウィーン・リング・アンサンブルでのべ3回聴いたことがあり、毎回圧倒された。名人の中の名人であると思う。しかも、余計なことかも知れないが、キュッヒルというのは見た目の本当に美しい人でもある。すらりとした長身で、知的かつ気品に満ちた風貌だ。ハゲも美の一部であり、燕尾服がとてもよく似合う。見ているだけでほれぼれするほどだ。全然知らない人だったとして、「オーストリア国王」だと紹介されても違和感がない。それでいてヴァイオリンが超一流なのだから羨ましい。
 ただ、この日は、終始音が安定しなかったように思えた。こんなことは初めてである。若い頃からヴァイオリニストとしてあらゆる栄誉を手にしてきたキュッヒルも、御年68歳。さすがに衰えはあるのかな、とも思ったが、なかなかどうして。アンコール(クライスラーレチタティーヴォスケルツォカプリース」、J・S・バッハ「パルティータ第2番のサラバンド」)は圧巻だった。クライスラーがこれほど技巧的で凝った曲を書いていた、というのも驚きだった。
 ところで、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を聴いたのはとても久しぶりだったが、プログラムを読んでいて、それらがともに1775年、19歳の時の作品だということを知った驚きは大きかった。ルードヴィヒ・フォン・ケッヒェルによる作品番号(K)でいうと、第4番が218で第5番が219。となると、私が大好きな交響曲第29番はK201だからそれより前で、モテット「エクスルターテ・ユビラーテ」はK165だから、それより更に前だ。確認してみると、29番は18歳、「エクスルターテ・ユビラーテ」は17歳の時の作品だ。今私が相手にしている高校生と同じ年齢である。いくらモーツァルトが早熟であるということくらい分かりきっているとは言っても、これらの曲の完成度というものを考えると、やはり驚異だなと思う。
 というわけで、1ヶ月も前の演奏会の話をなぜ今頃になって書いているかと言えば、この間、我が家にあったモーツァルト関係の本を読んだり、若干の曲を聴き直したりしながら、モーツァルトって何者?ということを今更ながらに思い巡らせていたからである。
 ちょっとした作曲技法を持つ人なら誰でも書けそうな曲ばかり。それでいて、どうも真似のできない作品らしい。私も決して嫌いではなく、「フィガロの結婚」、ミサ曲ハ短調、第20番以降のピアノ協奏曲、クラリネット協奏曲や五重奏曲などなど・・・何かにつけて繰り返し聴いてきた曲も少なくない。しかし、ベートーヴェンマーラー、バッハやブルックナーのように熱中したということはない。このブログでも、過去に正面からモーツァルトを取り上げた記事はないと思う。ないと寂しいし、「フィガロ」をBGMとして聞き流すなどというのはひどく気持ちのいいことではあるのだけれど、さほど真面目な聴き方はしてきていないようだ。いかにも簡単そうに見えて、高度なテクニックをアピールしにくいからか、演奏会プログラムとしてお目にかかる機会も意外に少ない。
 もちろん、まだ読み直していない本も多いし、改めて聴くことができた曲なんて、我が家のCDレベルで考えても、せいぜい数%に過ぎない。だが、これから先、もっと多くの本を読み音楽を聴けば、自分なりのモーツァルト観をまとめることが出来るかといわれたら、おそらく無理。なんだかそのことがよく分かったからこそ、今日、多少の感想のようなものを書いて私の「モーツァルト月間」を終わりにしよう、という気になったのだ。
 私がつくづく感じたのは、音楽は正に作曲家の個性そのもの、ということ。モーツァルトのように音を扱う高度な技術を持っていればいるほど、その個性が正確に表現されるわけだし、人間がどんな人をも完全には理解しきれないとおり、その個性はますます理解しがたいものとして変幻し、目の前に表れてくる、というわけだ。驚くべき35年の人生、驚くべき多種多様な作品群である。ただそれだけ。それ以上のことを言うのはやっぱり無理。