寒い夜に北欧の熱い合唱団

 昨夜は、東北大学川内萩ホールで行われた、ペーター・ダイクストラ指揮するスウェーデン放送合唱団の演奏会に行った。チケットをいただいた上、かわいい合唱部の生徒を6人臨時引率である。仙台駅からホールまで歩く道すがら、寒いなぁ、これはどう考えても氷点下だぞ、と思っていたら、昨日の仙台の最低気温は、ちょうど、私たちが「寒い、寒い」と言いながら歩いていた6時過ぎで、-1.6℃だったらしい。石巻では、今朝-3.5℃を記録したという。なるほど寒いわけだ。
 ちなみに、石巻で-3.5℃を記録した6:12は、私が駅で列車待ちを始めた時刻である。今朝、列車は踏切の安全確認とかで20分以上遅れて来たので、-3.5℃の中で、30分以上立ちんぼをしていたことになる。なるほど辛かったわけだ。
 そもそも、いったい何があったか知らないけれど、浦宿駅の小さく見通しがよい踏切で安全確認をするのに20分以上かかるというのは異常である。例によって、最近のJRの萎縮をよく表す過剰安全対策なのだと思う。寒い中、日本人(私を含む)は不満そうな表情一つ見せずに、じっと並んで待っている。いいんだか悪いんだか分からない。だからますますJRが過剰安全対策になるのだ。
 それはともかく、せっかくなので、スウェーデン放送合唱団に触れておこう。私が、合唱の演奏会に行くのは本当に久しぶりである。もともと、自分自身が合唱団に所属していたこともあって、合唱を聴きに行くことは多いのだが、ほとんどはオーケストラの演奏会で、合唱団も登場する、という場合が多く、ピアノ伴奏だけとかアカペラで合唱を聴く機会というのはほとんどない。記憶をたどれば、20年ほど前にミシェル・コルボが仙台に来て、グリーン・ウッド・ハーモニーというそこそこ有名なアマチュア合唱団を指揮し、バッハのモテット第1番他を演奏したのを聴きに行って以来かも知れない。
 なんだか聴いたことのある名前だぞ、と思い、我が家のCDラックを探してみたら、この合唱団が単独で歌っているものとしては、アバド指揮ベルリンフィルモーツァルト「レクイエム」、他の合唱団との合同だと、同じくアバドベルリンフィルによるベルディ「レクイエム」、ベートヴェン第9が出てきた。偶然かも知れないけれど、アバドに気に入られていた合唱団らしい(プログラムにもその旨書いてあった)。これは俄然期待が高まる。
 仙台市内の「萩」という合唱団が主催で、一応、合同演奏会の形になっていた。前半の前半が「萩」、前半の後半と後半の大半がスウェーデン、そして最後に小品を三つ、合同で歌う、という形。前半の前半の「萩」だけがピアノ伴奏付きで、他は全てアカペラである。スウェーデン放送合唱団のプログラムは、前半はバッハのモテット第5番、後半はラフマニノフの「晩祷」の3曲をメインに、北欧の作曲家の作品をちりばめたもの。
 期待のバッハはさほどでもなかったが、圧巻だったのは、後半に演奏されたアンデシュ・ヒルボルイというスウェーデン人作曲家が1983年に作曲したという「モウヲオアエエユイユエアオウム」という作品。チラシでこの得体の知れないタイトルを見た時、私は、スウェーデンの民間宗教の呪文か何かかと思った。ところが、昨日もらったプログラムの解説によれば、意味はないらしい。拍子抜けである。解説に「16パート」の曲で、「音の音色、リズム、強弱を極限まで正確に演奏するための習作(エチュード)と見ることができる」と書かれている。合唱団は32人だったので、1パートはわずか2人。音の強さ、高さ、質を正に自由自在にコントロールできることを見せつけるような演奏であった。私は解説を、演奏が終わった後に初めて読んだのだが、なるほどそういうことか、と思うと同時に、「習作」は変だな、むしろ「サンプル」というか「デモンストレーション・ピース」とでも言った方がよさそうだ、と思った。なにしろ、数々の技巧を見せびらかすための曲なのだから。
 ステージは、合唱団の交代の場面も含めて、実にてきぱきとスムーズに進んだ。指揮者の呼び出しにかかる時間ばかり長い演奏会よりいいなぁ・・・そんなことも演奏会が終わった後気持ちよかった理由。

 帰路も寒かった。