あんた、本当に興味あるの?

(12月2日付け「学年だより№28」より②)

 先々週末、東北学院大学を始めとする仙台市内の各大学で、推薦・AO入試の合格発表があった。そこで、先週月曜日から火曜日にかけての放課後、結果報告に来た多くの3年生で、東職員室もにぎわっていた。「先生、おかげさまで○○大学合格しました」と頭を下げる諸君の姿は、これから始まる大学生活への希望に満ちて生き生きしている。いいなぁ、私にもそんな時代があった・・・のかなぁ?
 私は、合格報告に来た生徒に、「おめでとう、やっとスタートラインに立てたね。気を抜かずに、今からしっかり勉強してよ」と答えていた。高校生活の中でこそ、進路決定はゴールのようだが、人生全体で考えてみれば、まだスタート地点というのは当たり前。しか~し、そこにはもっと深刻な私の実感が込められているのである。それは、必ずしも全員というわけではないが、彼らの驚くべき無知と不勉強だ。大学で専門とする分野についても、社会についても、である。
 大学の乱立と少子化で、特に私大は学生集めに苦労しているので、合格は簡単(もしかすると就職よりも)。授業で与えられたものを従順に受け入れていれば、いい成績を取るのも難しくない。だから、大学合格も成績優秀も知識の量や思考の深さの証明になんてならない。
 私が特に不思議なのは、面接練習で「以前から○○に興味があるので○○学科を選びました」と言う生徒に、「じゃあ、○○について今まで読んだ本を教えて」と聞き返すと、答えられない人、あるいはせいぜい1~2冊しか言えない人が珍しくない、ということだ。私の感覚だと、大学で専攻したいほど興味があるのに、その分野に関する本の5冊や10冊くらい読んだことがないというのは、ほとんど「芸当」と言ってよいほど困難なことである(←もちろん嫌味です=笑)。おそらく、「さぁ進路決定だ!」とか「目標を持て」と大人からプレッシャーをかけられて、苦し紛れに「○○」と言っているだけなのだ。
 そんな3年生を目の前にしつつ、私はいつもかわいい1年生諸君のことを思い浮かべてしまう。さて、諸君が今後2年間どのように学び、もう少しまともな3年生になるか・・・これは、諸君にとっても私たちにとっても考えどころだぞ。

 

(その他)
11月28日に西キャンパスで、「融が岡」についての新しい石碑が除幕されたことについて、2行だけ触れた。「郷土史の常識を得るために、一度碑文を読んでおこう。」
(ブログ用の注:昔、歌人として有名で、光源氏のモデルと言われる(←誰が言い始めたのか私には探せない)河原左大臣源融(みなもとのとおる=822~895年)が陸奥出羽按察使として多賀城に派遣され、現在、塩釜高校西校舎が建つあたりに邸宅を構えたという伝説があり、その場所が後に融が岡と名付けられた。実際には、遙任(在京のまま任地に赴かない)であって、源融が塩釜に来たことはなかったという説が有力だが、郷土愛に燃える人達にとっては、事実であって欲しいという願望をかき立てる大切な言い伝えである。生徒昇降口前の植え込みの中に、いつからか「とほるが岡」と刻まれただけの50㎝ほどの小さな石碑が立っているが、このたび、地元の僧侶からの寄付で、その石碑のすぐ近くに、上のような言い伝えを刻んだ少し大きな石碑が建てられた。翌29日、河北新報に記事。)