話せば分かる、か?・・・中村哲氏を悼みつつ

 医師の中村哲氏が殺された。今手元にないので何という文章だったか確かめられないが、高校現代文の教科書に、氏自身の文章が載っていて、私は中村哲という人物を知った。すごい人だと思った。医師だという共通点があるからかも知れないが、佐久総合病院の故・若月俊一氏(→こちら)と少しイメージが重なる。逆境の中にあって、偉ぶることなく、その場の人々にとって最も大切な物が何かを考え、エネルギッシュに行動した。
 幾つかの新聞報道の中で、昨日の河北新報に載った、2015年に氏が仙台の東北福祉大学で講演した時の記事が印象に残った。
 「命の危険について問われると『なかった。タリバンも反タリバンも話せば分かる。「水があれば何万人かが助かる」と言えば、彼らは分かる』と答えた。」というものだ。残念ながら、中村氏を殺害した犯人たちは、「話せば分かる」以前に、話すチャンスすら与えてくれなかったようだ。
 「話せば分かる」と言えば、思い出すのは1932年5月15日に暗殺された当時の首相・犬養毅だ。犬養は、青年将校に銃を向けられた時、落ち着いた態度で「話せば分かる」と呼びかけ、その直後、凶弾に倒れた。
 先月の末から一昨日にかけて、立て続けに3回行われた、昨年6月に新幹線の車内で全く面識のない2人を斬り殺した容疑者の公判の様子が報じられている。何の反省の気配もなく、刑務所に入ったとしても、釈放されたらまた人を殺したいなどと言っているという。正に驚くべき内容の発言の数々だ。彼を前に、「話せば分かる」とは言えない。3年前に、神奈川県の知的障害者施設で19人を殺した容疑者も、その後改悛の情は見えず、とても「話せば分かる」人だとは思えない。
 おそらく、世の中には話しても分からない人、そもそも話し合いの成り立たない人というのがいるのだ。
 2年前の話になるが、日本政府が核兵器禁止条約に署名しなかったことについて、私は肯定的な一文を書いた(→こちら)。私が署名すべきでない理由と、日本政府が署名しない理由はおそらく違うのだが、私の理由というのは、簡単に言ってしまえば、話しても分からない国や人というのが必ず存在する以上、核兵器を抑止的に保有することはやむを得ない、良心的な国々だけが「全廃」するわけにはいかない、というものであった。今でもそう思い、中村氏の訃報に接してその思いを強くした。
 人間同士「話せば分かる」ということは、常に期待し、信じていなければならないと思う。その一方で、どうしても話しても分からない人、話すことそのものができない人がいるという現実は、これはこれで認めなければならない。その場その場、理想を追うことが許されるのか、現実に基づく冷徹な対処をしなければならないのか、微妙な判断を迫られるような場面がある。ただ、世の中をより良くしていくためには、どちらかというと理想の側に少しぶれているくらいがいい。だが、それはもちろん危険を伴う。中村氏は、そのように行動した結果として、死を引き受けなければならなかったのだろう。
 人間の哀しい現実である。合掌。