村で頭角を現す・・・若月俊一氏のこと



(8月23日朝日新聞 若月俊一氏訃報引用)

 先週水曜日の各紙が、ほとんど写真入りで大きく若月俊一氏の死を報じた。諸君の中に知る人はいないであろうこの人のことを、私は岩波新書『村で病気とたたかう』(若月俊一著)と同『信州に上医あり』(南木佳士著)で知っていた。常に前向きで、あきらめることなく現状克服の具体的な努力をし、リーダーシップを発揮して、「農村医療」という分野を生み出し、更に、立派な大学や大病院の研究室ではない所で、人は意志さえあれば優れた医学的業績すら生み出せるのだ、ということに感銘を受けた覚えがある。東京帝国大学医学部卒の氏が、当時医師がわずか二人しかいなかった寒村の病院に赴任するには、戦時中、治安維持法違反で投獄された経歴を持つことなども原因としてあるのだが、最も重要なのは、氏が「貧困にあえぐ労働者・農民を救う」ということを医学を学ぶ目的(志)にしていたことだ。しかし、人は高い学歴を持つと当初の志を忘れ、せっかく東大にまで入ったのだから・・・、或いは、東大出の自分がそんな所に・・・という発想になりがちである。そうならなかった所に、氏の誠実さと信念の強さが表れている。それが後の大きな業績を生み出す源になったのだろう。

 漢文の授業でやった「嚢中の錐」ではないが、優秀な人物というのはどこにいても優れた仕事をして頭角を現すものだ。組織や設備がないから出来ないというのは、結局、凡人の言い訳なのだろう。偉大な人物が亡くなったものである。合掌。