大変なのは民主化の先

(12月2日付け「学年だより№28」より①)

 かれこれ半年間、香港では民主派と呼ばれる学生を中心とした勢力が、共産党一党独裁で強権的な中国政府に対する抗議活動を続けている(って知っているよね?)。ぼんやりと政治的に無反応、熱狂できるのはスポーツだけという変な国に生きている私は、そのエネルギーと社会意識をうらやましくさえ思う。
 彼らの民主化を求める気持ちは強く、国際社会でもそれを支持する傾向は強いようだ。しかし、民主化が実現すればいい世の中になるかと言えば、必ずしもそうはいかない。アメリカでも日本でも、政治問題は山積みで、明らかに変だと思われることもたくさん行われている。当たり前である。民主主義は「民」の質を反映する。愚かな「民」に支えられた民主主義は、賢者による独裁に劣る。「民」が長期的視野に立っていい世の中を作ろうと努力していなければ、民主主義は「みんなで決めたんだから仕方がない」と、あきらめを付けるためのシステムにしかならないのだ。
 価値あるものは、手に入れるのにも維持するのにもエネルギーが必要だ、という法則が間違いなく世の中には存在する。中国政府が妥協して、民主化の要求に応じることなど絶対にない、と私は思うが、仮にそんなことが起こったとして、大変なのはそこから先、なのだな。「東欧革命」も「アラブの春」も、そんな壁にぶつかって苦しむことになった。

 

(裏面:8月17日付け「天声人語」および9月15日付け朝日新聞より「高校国語で小説軽視?作家ら懸念」を引用)
(平居コメント:朝日新聞の記事を二つ貼り付けたが、これは「たまたま」。朝日以外の新聞、その他のメディアでもこの問題=2022年度から実施の新学習指導要領における国語の科目再編の問題が、最近、時々話題になっている。何が問題になっているのか、読み取ることができて欲しい。せめて「天声人語」だけでも・・・。)