(2023年7月12日付け「担任のお話」№14より)
日曜日、石巻市民球場に高校野球の試合〈石工vs県工〉を見に行った。他の種目の大会には行かず、野球だけ特別扱いするのはよくないなぁ、と思うのだが、なんでもかんでも行くわけにも行かず、じゃあどれに行くか?となると、やっぱり野球になってしまう(他の種目の皆さんごめんなさい)。
野球部のみならず、多くの石工生に会った。面白いことに、会った生徒の全て(本当に全て!!)が開口一番「先生、どうやって来たんですか?」と尋ねる。おそらく、日頃「楽と便利を信用しない」などと言って自家用車を使わないらしい平居も、今日こそは車で来たに違いない、そうだったら「ほら、先生だって車使うじゃないですか」とやっつけてやろう、ということなのだ。そんな魂胆が見え見えだ。冗談交じりに「チャーリーで来たよ」と答えると、「ウォーーッ」となぜか異様に盛り上がる。車で行っても、自転車で行っても、走って行っても、結局、彼らにとってはなんだか面白いんだろね。
それにしても、私がどんな手段で移動するかが、石工生にとって大きな関心事だとは愉快だ。もちろん、私は地球温暖化を生物全体の目近に迫った危機と感じ、しかも、それが自分(たち)のぜいたくな生活の結果であると自覚しているので、全力を挙げてエネルギーの消費削減に努めてるだけのことである。あまり特別なことをしているという気持ちもなく、むしろ、まだまだ甘いと思っているのだが、世の中の人はそんなことは考えていない。とても不思議なことだ。
九州では、毎年何度となく繰り返されるようになった「記録的な」「観測史上最大級の」豪雨が、大きな被害を生んでいる。
裏面
①2023年6月6日付け朝日新聞「多事奏論」欄、「高値の卵 『小さな養鶏』に見た循環の輪」(長沢美津子筆)を貼り付け。
平居コメント:最近卵がとても高い(と言っても、高校生は意識なんかしないだろうけど・・・)。理由の一つが、鳥インフルエンザ蔓延の予防的措置で「殺処分」が行われるからだ、というのは有名な話である。卵が高くなったことで、生産のプロセスに意識が向く。すると「大量生産」という資本主義の根っこのような問題にぶち当たる。食糧自給率38%の日本で、農・畜産業のあり方は、今後ますます問われるようになるだろう。
②同6月11日付け「天声人語」を貼り付け。
平居コメント:「言葉は生きている」とは、授業で見たDVDにも出てきた言葉だが、いろいろな例があるものだ。私が一番気になったのは、「今どきの若者は、SNSの文章に句点を記さないとも聞いた。『。』を付けると冷たい感じがするらしい」の部分である。私はよく諸君が書いたものに「。」がない、文末には必ず「。」を付けろと言うのだが、冷たい感じがするといってわざと省いているとは・・・本当?
*その他の記事は省略。