衝撃の年始(イラン編)

 奇しくも私は、年末12月16日の「学年だより№31」でイランとアメリカとの歴史的関係に言及した(→こちら)。その際、スペースの都合と、生徒に自分で調べる余地を残すという親心から、なぜアメリカとイランの仲が悪いのか、ということには触れなかった。
 まぁ、そんなことはともかく、とにかく最近の米イ関係の悪さというのは深刻である。しかし、単に米イ関係というのではなく、困るのはトランプ政権というもののどうしようもない愚かさだ。メキシコとの国境に鉄の壁を築く、イスラエルアメリカ大使館をエルサレムに移す・・・人の神経を逆なでするようなことを、よくもこのように無遠慮に行うものである。近づく大統領選挙を前に、戦争をすれば支持率が上がる、という迷信(経験則?)を信じてこの挙に及んだのではないか?そんな勘ぐりをしたくなる。
 今後へ向けて二つの可能性を考える。
 一つは、今回の事件がアメリカとイランの関係に限定された場合だ。司令官を殺害されたイランが腹を立てないわけがない。仮に、アメリカが言うとおり、イランが多くのアメリカ人の殺害を企んでいたとしても、それをイランが公に認めるわけもなく、だから司令官を殺したアメリカ側の事情も理解できる、などと考えるわけもない。メンツの問題もあって、報復は不可避だ。だが、報復すれば、アメリカはそれに数倍する、いや、数十倍もの再報復をするだろう。最終的にどちらが勝つかは明らかだ。
 残念ながら、戦争で勝つのは正しい方ではなく強い方だ(選挙も同じだね)。いくらアメリカの言い分が不当でも、おそらく、アメリカは勝ち、力尽くでイランを押さえつけるだろう。イランは煮えくりかえるような気持ちで服従せざるを得ない。それによって得られた静かな状態を「平和」と言えるだろうか?
 おそらく、表面には出て来にくくなったイラン(人)の恨み、ストレスが、何かしらの形で困った現象を生み出す。テロであればまだ分かりやすい。私などには想像もできないような、そして、米イ関係とは直接の因果関係がまったく感じられないような、何か異常な現象として表面化し、世界を混乱させ、恐怖に満ちたものにして行くに違いない。
 もう一つは、アメリカとイランが報復合戦を始めた時に、その他の国がどちらかに付くことによって戦争が拡大する、という場合だ。サラエボ事件をきっかけに第1次世界大戦が始まった状況を重ね合わせる人は少なくないようで、新聞でもそのような記事を既に目にした。これは予想が付かない。
 ただ、人類は全面戦争をするにはあまりにも強力な兵器を手に入れすぎてしまった。その兵器を使おうとすることは、一瞬の違いで、同様の破壊力にわが身を晒すことになってしまう。残念ながら、人間の自制心は、維持されるとすれば、ただそんな恐怖心によってなのではないか?
 「自分が見たいと思うものしか見えない」(カエサル)人間は、「勝てる」と信じがちだし、一度そう信じてしまうと、他の発想はできなくなってしまう可能性がある。そして、戦争が始まると、既に出てしまった犠牲を惜しんで、更に後へは引けなくなる(コンコルドの法則)。そこにメンツの問題が絡んでくると、事態はなおのこと難しい。
 サラエボ事件からオーストリアセルビアとの戦争が始まるまで1ヶ月、世界大戦へと拡大するまでにはそれから1ヶ月しかかかっていない。世の中は変わり始めると、連鎖反応によって、あっという間に変わるのである。油断してはいけない。
 話を元に戻そう。
 トランプを大統領にしたのはアメリカ国民だ。弾劾裁判の実施が決まっても、むしろそれをきっかけに支持率が上がるとも言われている。イラン軍司令官殺害、それをきっかけとする報復合戦で更に支持率が上がるようなことになれば・・・人の世はおかしい。