非常識で親切な人々

(12月16日付け「学年だより№31」より)

 師走も半ば。私も人並みに「大掃除」くらいはする。先日、自室の大掃除をしていたら、机の中から、何枚かの切手が入った古い封筒が出てきた。1983年11月~12月、私がイラン旅行していた時に買ったものだ。しばし思いを巡らせた。
 郵便局で見つけて最も衝撃を受けたのが左の切手。印刷の都合で見にくいと思うが、燃える星条旗の前で、目隠しをされた人が後ろ手に縛られ、その前に門と扉を乗り越えようとする数人の人の姿が描かれている。左枠に書かれた文字は、「The takeover of the U,S spy den(アメリカのスパイの巣の占領)」。1983年発行だが、1979年に起こったアメリカ大使館占拠の記念切手である。民衆が他国の大使館を襲い、大使館員を人質にした(444日間続いた!)だけでも驚くのに、政府がそれを記念して切手を発行したとは、正にびっくり仰天!!現在、アメリカとイランが犬猿の仲であるのは、このような歴史的背景があるのだ(←なぜ人々がアメリカ大使館を襲撃したのかは、各自調べてみよ)。
 せっかくなので、もう一つ。国連ビルから伸びた気味の悪い手が、地球をわしづかみにしている。腕には「VETO(拒否権)」、1本1本の指には、UK(英)、USA(米)、FRC(仏)、USSR(ソ)、CHN(中)と書かれている。それを切断しようとしているのは、イランの国章が付いた剣だ。つまり、拒否権を持つ国連安全保障理事会の5つの常任理事国が地球を私物化しようとしているのを、正義の味方であるイランがやっつけるという構図である。
 非常識だ、と言うのは簡単。だが、これほど極端だと、善悪の問題というよりも、そもそも感性が違うのだ、と思わされる。他国と付き合っていくというのは、そのような感性の違いを乗り越えるということだから大変。だが、よく考えてみれば、私たちの日頃の生活でも同じこと。考え方や感じ方が全然違う人と上手く付き合えなければ、この世で生きていくのは難しい。
 イランで1ヶ月間、私は体調不良に苦しんだ。救いだったのは、底抜けに親切で人なつこいイランの人々であった。彼らの姿は、どうしても、大使館襲撃とも非常識な記念切手とも結びつかない。不思議なことである。(→関連記事

 

*その他の記事(後期第1回考査の成績についてなど)省略

(裏面:半分は成績の度数分布表
他に12月5日付け河北新報コラム「河北春秋」貼付
平居コメント:人間がAIに仕事を奪われることを心配する声がある。それを回避するには、AIにはできない人間ならではの能力を高める必要がある。さて、それはどのような能力で、伸ばすためには何が必要?その能力が伸びない(あるいは低下しつつある)原因として考えられるのは何?)
11月3日付け河北新報「うたの泉」欄貼付
平居コメント:短歌って面白~~い!しかも、作者は宮沢賢治。へぇ、賢治って短歌も作るんだ?これが名歌であるかどうかはともかく、「アイデア」の奇抜さには本当に驚く。
ブログ用の注:紹介されている賢治の歌とは
「「何の用だ」「酒の伝票」「誰だ。名は」「髙橋茂吉」「よしきたり。待で」」
「用」に「よ」、「吉」に「ぎづ」と方言のふりがなが付いている。解説は駒田晶子。それを読めば、生徒でも意味は分かる。)