世の中とはそういうもの

(2月17日付け「学年だより№39」より②)

 

【可能性を感じた学年集会・・・】
 学年集会で1年間を振り返るのに、「パネルディスカッション」の形はどう?という案が出た時には、パネラーになってくれる生徒がいるだろうか?という心配をしていた。ところが、いざ呼びかけをしてみると、自ら名乗り出てくれた人もいたし、こちらから声をかけて断られることもないし、更に、当日は、パネラー以外からの発言も相次いだ。日頃宇宙空間のような教室で授業をしながら寂しく思っていた私としては、たいへん嬉しく期待の持てる集会になった。
 時間の都合もあって、「ディスカッション」というレベルには至らず、盛り上がりかけたところで終わってしまった感じもするが、今回は、このやり方が成り立つことが分かったことこそ成果である。次回は具体的なテーマについて「ディスカッション」が出来るといい。
 ところで、集会では、「担任の当たり外れ」も話題となった。諸君にとって切実な問題であることはよく分かる。だが、指摘の仕方が適切だったかどうかについては、その後の職員室で多少話題になった。
 何しろ、穏やかで良識ある塩高生なので、それがエスカレートして暴動が起きる、などという配はしないが、諸君の「お勉強」のために、少し思うところを書いておく。

★大人の議論は(少なくとも公の場では)「個人攻撃」になる可能性を避ける。
★いろいろな人と付き合うことを学ぶのも学校の価値である。

 これだけで言いたいことは分かるでしょ?
 現在、普通科では「来年度のクラス編成」作業を終えた(ビジネス科は今から)。雄志・養賢の別や選択科目の都合で、もともと融通が利きにくいこともあり、「編成」というほどの作業でもないのだが、私たちは「出来るだけ人間関係に配慮せず、機械的に作業する」ことを原則とした。そうすると、今までトラブルを起こした者同士が同じクラスになることもあり得る。だが、世の中というのはそういうものなのである。相性の良くない人や嫌いな人と、どのようにして一緒に活動していくかというのは、極めて重要な処世術で、それが出来る人を「大人」とも言う。私たちだって、気の合う者同士で「1学年教員団」を作っているわけではない。人間関係に配慮すると、諸君がそんな能力を伸ばすチャンスを奪うことになる。誰が担任になるかだって同じことだ。
 また、人間の先入観は危ない。「いい」と思った相手にはがっかりしやすく、「悪い」と思っていた相手には思いがけない美点を見つけたりする。

    相手のいいところを探しながら折り合いを付ける、場合によっては距離を保つ、相手の問題点を指摘する時には、指摘の仕方にも配慮・工夫する。学年集会の「パネルディスカッション」で、思いがけずそんな勉強も出来たことを、共に喜びたい。