授業を一緒に作りたい

(2020年9月9日付け「学年だより№60」より②)


【授業問題を考える】

 前回、某調査で「学ぶ意欲を引き出し、学力を身に付けるような授業が行われている」、「多くの授業が理解できる」ということについて、肯定的評価をした塩高生が6割に満たなかった、ということを書いた。私たち教員には、授業改善の努力が求められているようだ。
 だが、少し変だな、とも思う。職員室でたびたび問題になるのは、授業中の反応のなさだ。先生の話を静かに聞くのは大切で、それができる塩高生は立派だ。しかし、ただただ静かで、黙々と黒板を写すだけ、意見も質問もほとんど出ず、問いかけても沈黙。それでいて、それらの調査とは別に、各授業で取る「授業評価アンケート」でも、評価は非常に手厳しい。
 「黒板の字が小さい(あるいは、汚い)」、「話し方(あるいは、進度)が速い」、「声が小さい」などなど、問題があればどうしてその時(もしくは、授業後にこっそりと)言ってくれないのだろう?難しければ、どうして質問してくれないのだろう?(ちなみに私は、文句があれば言えばいいのだし、理解できているかどうかなんて試験をすれば分かるのだから、大量の紙を使って授業アンケートなんて取る必要ない、と言い続けている。)
 また、「学習状況調査」やスタディ・サポートに表れた学習時間の少なさをどう考えたらいいだろう?つまり、私たちは学年の約半分を占める(!)家庭学習時間30分未満の生徒が分かる授業を目指すべきなのか?高校生として当たり前と思われる2時間の予・復習をしている生徒(10%未満)が理解できる授業を目指すべきなのか?この学習時間を意識すると、授業に対する肯定的評価が6割もあるというのは、十分に「高い」ような気がしてくるのだけれど・・・。
 私は、諸君にこんなことを「一緒に」考えて欲しいのだ。授業は、生徒と先生とが一書になって作るものだ、と思うよ。


(その他の記事は省略)。