バイデン氏の勝利演説

 先日、いくらバイデン氏が勝ちそうだとは言っても、トランプ氏に7千万もの票が入ったことは、この世を悲観するに値する、というようなことを書いた。確かにその通りなのだが、一昨日のバイデン、ハリス両氏の勝利演説というのを聞いて、なんだかその悲観が少し解消されたような気がする。なるほど、国の頂点に立つものたるや、このような演説が出来なければならない。しみじみとそう思った。いくら「言うこと」と実際に「やること」は同じではあり得ないとしても、本当に感動的な演説だったと思う。
 世の中では、ハリス副大統領の演説がもてはやされているようだが、私にはむしろ、バイデン氏の演説の方が印象的だった。

トランプ大統領に投票した人たちの失望を理解する。私も何度か選挙に敗れたことがある。だが、互いにチャンスを与えよう。辛らつな言葉を脇に置き、熱を冷まし、互いに目を見て耳を傾け合おう。前進するため、意見の異なる相手を敵のように扱うのはやめよう。彼らは敵ではなく、米国民だ。」

民主党員としての誇りを持っているが、全国民の大統領として統治する。私に投票しなかった人たちのためにも、私に投票した人たちのためにも同じように懸命に働く。互いを悪魔に見立てるような嫌な時代を今、ここで終わらせよう。民主党共和党が協力を拒むのは、私たちの手に負えない謎めいた力が働いているからではない。それが私たちの判断で選択だからだ。協力しないと決められるなら、協力すると決めることもできる。我々に託された使命は協力だ。私は協力することを選ぶ。民主党議員も共和党議員もそう選択するよう望む。」

 これら以外の部分も含めて、我が国の政治的指導者にもぜひこうあって欲しいと思うような内容で満たされている。どうも最近、日本では、選挙で勝てば、勝った人が無条件の信任(白紙委任)を得たかのように振る舞う傾向がある。もちろんそれは、民主主義というものを根底から誤解している。民主主義は、あくまでも「民」の全てが主役である。誰に投票したかによって、政府からの尊重のされ方の度合いが違っていいものではない。私にとって、これは自明のことに思える。だが、おそらく日本の権力者にとって自明のことではない。自明のことを、自明のこととして語ることのできる人は偉大である。
 最も問題なのは、バイデン氏がそれを実行できるかどうかだが、実行できるためには、彼自身の力だけではなく、現時点で彼に対して否定的の人の力も重要だ。バイデン氏支持ではない人たちの何割に、彼の言葉を聞き、考える力があるものだろうか?学ぶことの効果が、教える側よりも学ぶ側の主体性にかかっているのと同様、バイデン氏の素晴らしい演説が今後生きてくるかどうかは、語った本人よりも、むしろそれを聞いた多くのアメリカ国民の側にかかっている。