ゼレンスキー演説の是非

 私は、昨晩帰宅が遅かったので、国会で行われたゼレンスキー・ウクライナ大統領の演説映像を見ることはできなかった。内容については、今朝の朝刊で読んだ。
 様々な配慮に満ちた、上手な演説ではあるが、意外に平凡だとも思った。この場合の「平凡」というのは、予想された範囲から出てはいない、という意味である。リアルタイムで映像を見ていたら、もう少し違った感想を持ったかも知れない。
 だが、それにしても、オンラインで各国の国会に登場し、同じ内容や表現ではなく、その国の歴史や文化、ウクライナとの関係などを反映させたコンパクトなスピーチで共感と支持を集めているというのは、たいへん賢いやり方である。相当なエネルギーも必要なはずだ。混乱する戦況に対処しながら、一方でこのような戦略的宣伝活動ができるというのは驚異だ。
 日本では事前に、ゼレンスキー氏に国会での演説をさせるべきでないという主張も出ていた。国会議員が、紛争の一方の当事国の言い分だけを聞くのはいかがなものか、という理由であったと思う。これはどう考えるべきだろうか?
 私は何らかまわないと思う。ゼレンスキーとプーチン(=ウクライナとロシア)、2人から申し出があったのに、ゼレンスキーの演説だけを許可した、というなら問題だ。ウクライナから申し出があった時点で、プーチンに「あねたもどうですか?」と声を掛けてみてもよかったかも知れない。いやいや、ゼレンスキーが各国の国会でオンライン演説を行っていることくらい、プーチンだって知っているはずだから、それが一方的なゆがんだロシア観を生むと思うのなら、プーチン側から「俺にも話をさせろ」と言って来るはずである。それがないのなら、わざわざ声を掛けるまではないかも知れない。
 今回の戦争は、明らかにプーチンが一方的に仕掛けた侵略戦争であり、申し開きの余地などあるわけがないように見えるが、だからこそ、その言い分を直接聞いてみたいではないか。戦争には情報操作が付きものなので、私たちの目に、どれだけ真実が見えているかは分からない。そのこと自体を、私たちは肝に銘じ、まずは双方の主張に素直に耳を傾けた上で、その言葉のどこが真実で、どこが虚偽であるのかを総合的に判断、もしくは、直感的に見抜いていくべきなのだ。
 ウクライナが反撃に転じているような情報は流れてくるが、希望的推測である可能性もあり、まったく予断はできない。私は相変わらず、1秒でも早く戦争が終わるように、ロシアが核や生物化学兵器などの残虐な武器を使わないように、もうこれ以上人が死なないように、ただただ祈る。