石巻工業高校に異動!

 昨日の午後、今年の人事異動が発表された。多くの一般県民がそれを知ったのは、実質的に今朝の朝刊である。私の名前が書かれている。異動先は石巻工業高校だ。
 塩釜高校にいたのはわずか5年。ただ、通勤が大変なので、3年生を卒業させたタイミングで異動させて欲しいと希望したのである。これで、通勤時間は、自転車+列車+徒歩=1時間20分から自転車15分に、片道1時間、往復で2時間以上の短縮となる。列車の時間は、いい読書or居眠りタイムだったのだが、なにしろ混んでいて、往路は出発の10分以上前から並ばねばならず、復路は矢本まで立ちんぼが多かった。ガラガラの列車で通勤できるなら、乗車時間1時間でも異動希望は出さなかったかも知れない。
 異動希望を出すに当たって、異動するならここに行きたい、と二つの学校を指名した。もちろん、工業高校はその二つに含まれている。まずまずありがたい人事だと思う。
 私は59歳である。以前なら、絶対に異動対象にはならなかった。最近は、定年後も再任用という形で最長5年間居残れるためか、58とか59とかでの異動が珍しくない。私は再任用申請の最終締め切りである8月までは、何らかの可能性を求めて就職活動をしようと思っているのだが、再任用もあり得る。ということは、最長で6年間工業高校にいることになる。逆に言えば、塩釜に更に6年という可能性もあった、ということである。5年は自分としては短いが、11年が長すぎるとなれば、5と6に割ることは合理的であろう。
 離任式は30日だが、「感染症予防」と称して、離任式に卒業生を入らせないらしいので、私は接したことのない生徒を相手に何かしらの挨拶をすることになる。意欲がまったく湧かない。だからだろう、発表のタイミングで感慨を抱く。
 特にこの3年間は学年主任として、18名のスタッフ、360名の生徒、その両方に恵まれたいい時間を過ごせたと思う。うち2年間がコロナに振り回され、修学旅行も中止、その他の行事も続々中止、更に多くの生活制限がかかった。その意味では、ストレスの大きな2年間だったが、それは他の学校にいても大同小異だったはずだから、ある程度諦めが付く。マスクのない1年間があり、生徒の顔が分かることを、むしろ「よし」とすべきかも知れない。
 今日の午後、引き継ぎのため工業高校に行った。2年半ほど前、ラボ(→知らない人はこちら)の高校生向け講座(→その時の記事)を開いた学校でもあり、旧知の教員も何人かいるし、30年以上住んでいる町の学校なので、何の違和感もなかった。専門高校も水産で経験がある。そこにおける普通科の位置というのも分かっているつもりだ。
 それでも、外から見るのと中から見るのではまるで違う、というのはよくある話である。さて、どんな新学期が始まるのやら?