多様性こそ生き延びる道

(4月15日付け「学年主任だより」№2より)


 西キャンパスに引っ越してきて2週間が過ぎた。日頃から出入りしている場所である上、3年前に西勤務をしていたことがあるにもかかわらず、戸惑うことも多い。
 昨年までは、当然のこと、朝の職員打ち合わせの時は、ビジネス科(西)と普通科(東)が別々にやっていた。今年は、全体打ち合わせが終わった瞬間に、ビジネス科の先生方が普通科の方に移動してきて、学年全体で打ち合わせをする。昨年までは、両学科が別々の学校のようだったが、今年はひとつの「塩高3学年」だという気がしてきた。こんな事情は、おそらく生徒諸君にとっても同様なのではないか?
 人は全て感じ方や考え方が違うわけだから、人数が増えると面倒くさい。一方で、自分とは違った視点や考え方に触れる機会が増えて、勉強になることもあるような気がする。世の中には、煩わしい人間関係をできるだけ避けようとする傾向がある。コロナ問題で、それは正当化され、加速したようにも感じる。しかし、生物の世界においては、多様であることが生き延びるための重要な要素であると言われることも多い。
 今年は、行事以外の場面でも、ビジネス科と普通科の生徒が接する機会が増えるだろう。そこから、できるだけ自分とは異質な何かを学んでいけるといい。

 

(*今年度の学年指導目標に関する記事省略。)

 

裏面:4月11日付け日本経済新聞科学欄より、「電気自動車が『排ガス』」「電池製造でCO₂ 再エネに期待」を貼り付け。
平居コメント:温暖化が人類にとっての深刻な脅威だという認識は、だいたい共有されるようになっている。その解決のためには、化石燃料からの脱却が絶対に必要だという認識もまた、世界の共通認識になったと考えていいだろう。しかし、「だからガソリン車を廃止し、電気自動車の普及を」となると、私なんかはすぐに「え!その電気ってどうやって作るの?」と思ってしまうのだが、本当に、本当に不思議なことに、そのことについての問題指摘や議論を見ることはほとんどない。そんな中で、これは貴重な記事。「人間なら誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」とは、カエサル(紀元前50年頃のローマ帝国の支配者)の言葉だ。「見たいと欲する現実しか見ていない」とは、「見たくないもの(=自分にとって不都合なもの)には目を閉ざす」ということだ。2000年以上前に指摘された人間の問題点を、現代人は克服することができるのか?環境問題では、特にそのことが問われている。