働く「手」

 老化により体の不自由な母の生活支援のため、基本的に毎週末、土曜か日曜に仙台市近郊に1人で住む母の所に行く、ということは、おそらく既に何度か書いたことがある。今週は、昨日がPTA総会で登校日だったので、今日行った。
 家に着くと、前に軽トラが止まっている。「ははぁ、Sさんだな」とすぐに分かった。車で5分くらいの所に住むSさんは、死んだ父の部下だった人で、母の体が不自由になってから、草取りや畑作りなど庭の管理をして下さっている。Sさんが来るのはたいてい平日なので、私はなかなかお目にかかる機会がない。母の家以外に4軒の庭仕事を引き受けているというSさんは多忙で、自宅を訪ねれば会えるというものでもないようだった。今年に入ってから1度だけ、数分間の立ち話をしたくらいで、その前はと言えば、少なくとも数年間は会っていない。
 「これからは農業の時代だ」と常々言っている私は、一度Sさんから畑作りを学びたいという意向を、母を通してSさんに伝えてあったから、Sさんは、私と会える可能性が高い日曜日を選んで来てくれたようだった。
 まるで数日おきにでも会っているかのように、Sさんは気さくだ。「お、高志くん、いいところに来たな」と、矢継ぎ早に私に指示を出す。私はちゃんと日頃からのお礼を述べてから、と思っていたし、そもそも、今日畑仕事をするというのは想定外だったので、面食らって付いていくのが大変だ。
 Sさんは、単に私に指示を出すというのではなく、自分でもせかせかと動き回る。その身のこなしの軽さ・素早さに驚嘆する。なにしろ、Sさんは間もなく86歳になるのである。
 2時間くらいの作業の最後に、「男結び」の練習をした。これがなかなか難しい。ほとんど無意識に手が動くというSさんの、その手元を見ながら練習するのだが、肝心なところがするっと視界から消える感じでよく分からない。以前、群馬県富岡製糸場で、糸繰りの実演をしていたおばさんが絹糸を継ぐのを、何回見てもよく分からなかったということがあったが(→その時の記事)、それを思い出した。
 Sさんは私の手の横に自分の手を添えて実演し、また、私の手の形を直してくれる。都合、すぐ目の前でSさんの手をまじまじと見つめることになった。なんという魅力的な手だろう、と思った。いわゆる、がさがさとして節くれ立った手で、自宅も含めて6軒をいったり来たりしながら、草を引き、耕して畑を作る、本当に土と親しみ、働いている人の手だ。86歳という年齢によって生じたしわなど気にならない。それこそが、人間の本来持つべき手のように思われた。
 母の家から自宅に戻った夕方、走りに出て、水産高校時代の教え子Kに声をかけられた。Kは小さなパワーショベルを載せたトラックから下りてきた。私の記憶では、食品科学類系を卒業し、寿司屋に就職した生徒だ。聞けば、寿司屋は早々に辞め、父親との関係で土建屋になったのだそうだ。耳に大きなピアスをしているが、いかにも屋外労働者という顔で、表情も実に明るい。
 Sさんのこともあったので、つい手に目が行った。土がこびりついたという感じではないが、どう見ても、寿司屋とは似ても似つかぬいかつい手だ。あぁ、こいつも真面目に労働しているのだ、という感動があった。デスクワークを否定し、あるいは自分を卑下するわけではないけれども、元祖「労働」の存在感は大きい。 Kも立派な大人になってよかった。