オープンキャンパスの心得

(5月19日付け「学年主任だより№6」より)


 桜が終わった塩釜神社では、先週フジとイチハツ(アヤメの一種)が満開だった(週が明けたらしなびかけていた)。私は「紫」という色が大好きだ。イチハツの紫は特にいいと思う。くっきりと鮮やかで、しかもどぎつくない。一方、フジの紫はあまりにも白に近くて物足りない。ところが、あの房を手に取って、それを構成している小さな花をじっと見てみると、何ともきれいなグラデーションになっていることに気付く。もしかすると、何事にもミクロの視点と、マクロの視点の両方が必要、ということなのかも知れない。


オープンキャンパスの心得】

 「現在、大学のオープンキャンパスはほとんどが予約制になっている。各自怠りなく予約するように」と、先週、各クラスでこんな注意があったはずだ。学校によっては、オープンキャンパス(以下OC)への参加が、推薦入試等受験の条件になっていたりもするので、そんなことも確認しながら、必要な場合は怠りなく予約するように。
 一方、それとは少し違ったことも注意しておきたい。
 OCの歴史は浅い。大学だけでなく、高校までもがこぞってOCを開くようになったのは、この15年くらいのものだ。学校を開かれた場所にする、というよりは、少子化でどの学校も生徒・学生集めに頭を痛めている、という現実がある。
 すると当然、大学はありのままの姿を見せようなどとはしない。学生が入りたくなるように、演出を凝らすようになる。専修学校あたりだと、塩高生が行く場合、塩高卒業生をバイトで雇い、先輩として優しく親切にエスコートしながら入学へと誘導させる、ということも行われているらしい。大学でも大同小異だろう。
 つまり、OCは商品の広告と同じなので、そこで語られることを鵜呑みにするのは危険である。では、どうすればいいのか?

① いい所だけを見せようとしているということを常に意識しながら見る。
② 必ず複数の学校に行く。数は多い方がいい。
③ 大学を知るためではなく、「~学とは何か」を学ぶつもりで行く。
④ 一方的に説明を聞くのではなく、質問する。

 これらをしなければ、入りたい学校に行って、期待通りだと納得して帰ってきて、入学してみたら「こんなはずじゃなかった」ということになる。
 そもそも、学校案内を熟読しようが、①~④を意識しながらOCに参加しようが、先輩や先生の話を聞こうが、入ってみないと分からないことなど必ずある。学校のことをよく分かって進学するなんてあり得ない。過剰な期待は禁物だ。以前、就職について同様のことを書いた(→こちら)が、進学でも同じこと。入ってから「我慢すること」「その学校・学問の面白さを発見しようと努めること」こそが大切だ。
 なお、学校案内でも、カリキュラム、取れる資格、卒業生の進路といった客観的情報は比較的信用できる。まずはそれを手がかりに考えること、かな・・・?


【進路の手引き】

 先週末、「進路の手引き」が配布された。完成が例年よりも少し遅かったこともあり、読み合わせの時間を確保することは難しい。各自進路選択が違うことで、読むべき場所も異なるわけだから、元々「各自で熟読せよ」でいいような気がする。そこに書いてあることは分かっている、という前提で話が進むこともあるかも知れない。注意せよ。ちなみに、私は毎年、面接練習が始まった時、やって来た生徒に、「進路の手引き」にどのような説明・注意が書かれているか尋ねてみるのだが、たいてい答えられないので、「バカもの!読んで出直して来い!!」と一喝する。危険危険。これまた注意せよ。


裏面1:3月31日付朝日新聞より、作家・西村賢太氏のインタビュー記事を貼り付け。見出しは「不幸?それは比べるから」。
平居コメント:こういう人って、実際に会ってみると迫力あるだろうなぁ、と思う。
裏面2:4月27日付河北新報より、「顔写真なし『人権侵害』 大分・覆面レスラー市議 広報誌掲載仮処分申し立て」を貼り付け。
平居コメント:是非を考えるためのいい練習問題。(ポイント:「顔」とは何か? 市議会議員という「公人」は、個人情報についてどこまで公開する必要があるのか?また、それはなぜか?)