聖火リレーから五輪ファシズムへ

 昨日から明日にかけて、オリンピック・パラリンピック聖火リレー宮城県で行われている。なにしろ、オリンピック・パラリンピックが果たして開催できるのか、或いは開催することが許されるのか、という議論があるような状況下である。聖火リレーはするものの、人には集まらないで欲しいという異例の呼びかけがあり、なんだかこそこそ悪いことをしているみたいだ。
 私ももちろん見に行かなかったが、昨日は、別の用事で、ちょうど聖火リレーが始まる直前に石巻駅を通り、今日は母親の生活支援に行った帰り、交通規制が始まる直前の松島海岸を通過した。厳重な交通規制と、そのために動員された警察官の数に驚いた。雨が降っていたこともあって、石巻駅前の人出はさほどでなかったが、駅周辺の有料駐車場が、すべて満車(多くが県外ナンバー)になっていることには驚いた。有名人を含めて、ランナーに決まっていた多くの人が辞退するということもあったが、昨日の様子を見ていると、聖火が来たことが嬉しくて仕方がないといった風の人も多い、ということだ。
 多分、始まったら熱狂的な雰囲気になり、少々問題があっても、政府はよく決断したという声が増えて、衆議院は9月解散、そして自民党の圧勝・・・なんとなくこんなシナリオが予感される。暗いな。
 金曜日、尾身茂氏など専門家有志が、オリ・パラによる感染拡大リスクを評価する見解をまとめ、政府に提出した。政府の分科会座長である尾身氏と首相をはじめとする政府与党との関係がぎくしゃくしていることは、伝えられ始めてから1ヶ月以上にもなるのではないか?何しろ、首相は人事権を振りかざして、官僚を萎縮させ、自分たちのやりたいことをやりたいようにやって来た人である。学術会議議員の任命問題にも、そのことははっきり表れている。
 だとすれば、感染症対策という専門的なこととは言え、彼らに学者の声に素直に耳を傾けるなどということが出来るわけはない。感覚的にこうしたいと思ったことを肯定するような意見には耳を貸し、それを利用するが、逆のことが起こった時には、「越権だ」「勝手に言っていることだ」という反応となることは、最初から目に見えていた。
 私は、政治家が学者の言うことを100%尊重すべきだとは必ずしも思わない。学者は、100%確かであることしか断言しないし、自分の専門のことばかり考えている。しかし、世の中は非常に複雑だ。政治家がそれらに広く目を配り、様々な利害を調整しながら、社会全体として最も大きな利益が得られる決断をする。それが、学者の言葉通りにはならなくても仕方がないだろう。
 しかし、政府に「多くの専門家の意見にも耳を傾けた上で、かくかくしかじかの事情から政治家としてこう判断する」というような姿勢があるようには見えない。やくざ、チンピラの世界と同じ。「気に入った」「気に入らない」というレベルの思慮であるように見える。
 木曜日、ネットで読んだノンフィクションライター・窪田順生氏の「『東京五輪やっぱり最高!』という手のひら返しを警戒すべき歴史的理由」という文章(DIAMOND online。ぜひご一読を!!)は面白かった。と同時に怖かった。怖いと言うのは、そこで描かれた第1回東京五輪の時の報道、今回こうなりそうだという予想が、いかにもありそうで、リアルすぎるからである。氏は、オリ・パラ報道が「ナショナリズム丸出しの思想教育」になる可能性を指摘している。情報がねじ曲げられ、ファシズム的な五輪礼賛への動きが作られていく懸念である。
 それを読んだ時の「怖い」という気持ちは、聖火リレーの様子を見ることで更に強くなった。だいたい、私の予想はいいことについては外れるが(だから競馬や株では絶対に勝てない=笑)、悪いことについては当たるんだよなぁ。