日和見主義への期待

 もう2年近くにわたって、お互いの家族も含めて会っていないが、「非常に親しい」と言ってよいレベルの知人がコロナウイルスに感染した。風邪のような症状で37℃台半ばの熱が出たため、検査を受けたところ、一昨日「陽性」との判定が下ったそうだ。ホテルへの隔離ということになり、昨日ホテル入り。妻のスマホに、時折ホテル生活の様子が送られてくるので、ホテル隔離の生活とはどういうものか、けっこうリアルに知ることが出来て面白い。それにしても、職業の性質もあって、私が知る限りでは、感染しないよう最も神経質に気を付けて生活していた人である。その人が、あくまでも私の知人の範囲でではあるが、真っ先に感染したというのは皮肉である。このことは、感染があくまでも「運」であることを物語っているのかも知れない。
 ヨーロッパでは、生活規制の廃止を進める国が増えているらしい。さすがはヨーロッパ。やはり賢いな、と思う。イギリスなどは、オミクロン株による感染がピークを過ぎたとは言っても、まだ1日当たり7万人あまりの感染者が出ている。今の日本とさほど変わらない。それでも、場所に応じて課されているマスクの着用やワクチン接種証明の提出などの義務を廃止するという。オミクロン株の重症化率が低いなどによる科学的根拠に基づく措置、ということだ。オランダ政府は、「日常生活をこれほど制限する措置が長引けば、国民の健康や社会全体を害する」と言っている(CNNニュース)。私が日頃ぶつぶつ言っていることと同じではないか(直近は一昨日の本ブログ記事)。それが広い視野に立った正しい措置、というものである。
 欧米の場合、たいていの国でマスクの着用は法的義務である。それでも、テレビで見る街やイベントの様子では、マスクをしていない人が相当数いる。人の目元を見る(日本)か、口元を見る(欧米)かという文化の違い、更には鼻の高さの違いによるマスクとの相性などによって、日本と欧米の違いは生まれているのだろうが、決してそれらだけではない。
 日本では法的義務にはなっていないのに、私でさえも、今やマスクなしでは肩身が狭くて公共の場を歩けない。日本人のマスク着用率の極端な高さは、公衆衛生意識とか遵法意識とかではなく、周りの様子を窺いながら自分の態度・行動を決めるという極めて日本人的な心性がよく表れている。
 国は国民の反映である。欧米、特にアメリカの動向には過敏に反応し、その後を追うことの多い日和見主義国家・日本である。欧米各国が、感染症予防の行動制限を続々と廃止すれば、それをちらちらと伺いながら、やがて日本政府も同様の措置を執るようになるのではないか。今のところ、日本政府が独自に、大局的、哲学的判断によって各種制限を解除していくことは望めない。濃厚接触者の隔離期間短縮とか言っても、それはエッセンシャルワーカーの不足が困るといった、いかにも実利的、現実的判断に基づいているだけである。
 ここはいっそ得意の「日和見主義」を大切にしてもらおう。そうすれば、欧米に右へ倣え、「日常生活をこれほど制限する措置が長引けば、国民の健康や社会全体を害する」と言って、生活の正常化を目指すことになる。結果オーライ。その動機が日和見主義であれ、大局的、哲学的判断であれかまわない。とにかく、コロナ対策の弊害がこれ以上大きくなることを防がなければ・・・。