石田泰尚!!!

 ウクライナの人に申し訳ないなと思いながら、今日は、午後から仙台に石田泰尚のヴァイオリンを聴きに行っていた。石田泰尚との出会いは衝撃だった。3年半ほど前の話である(→その時の記事)。うかつにも全然知らない演奏家だったのだが、正にショックを受けるほど魅力的な音楽だった。確かに、ステージマナーの奇抜さなどあったが、私はどちらかというとそういうものに反感を感じる人間である。服装とか髪型とか態度とかどうでもいいから、音楽家は音楽で勝負してくれ、と思う。その時も書いたが、彼はあまりにもヴァイオリンが上手いから、その奇抜な態度も一種の魅力と成り代わるのだ。前評判を知らずに行って衝撃を受けた・・・これはなかなか重要な点である。しかも、その時の演奏会の主役はバンドネオンの三浦一馬だったのだ。
 一昨年の3月、仙台で彼が率いる「石田組」の演奏会が予定されていた。もちろん、長期休校に入った頃で、あえなく延期。一年後の延期公演も実施されずに中止となった。石田組の公演をするとなれば、10人ほどの優れた演奏家のスケジュールを合わせなければならない。それがなかなかできないので、今回はピアニスト(中島剛)だけ連れて、親分一人で来仙、ということになったと見える。
 一昨年の石田組公演は、早々にチケットが売り切れたので、今回もか?と思ったが、昨日も新聞に広告が載っていたくらいなので、親分一人だと、なかなか集客しきれなかったということなのかも知れない。会場は、1000人収容の電力ホール
 それでも、会場に着いたときには長蛇の列。7階の会場までエレベーターでしか上がれないようにしていた上、感染症対策とかで、乗客を10人に制限していたので、エレベーターが飽和したのだ。入り口では当日券も売っていた。それでも、空席はせいぜい50くらいだったのでは?仙台のクラシックの演奏会で満席は非常に珍しいので、ヴァイオリン1挺で950人集めるというのは、他の人ではなかなかできないことだろう。
 さて、プログラムは、前半がシューベルトの「アヴェ・マリア」、モーツァルトのヴァイオリンソナタ第25番、フランクのヴァイオリンソナタ。「ピアソラ没後30年」と題した後半が、ピアソラの「オブリビオン」「タンゴの歴史(全4曲)」「ル・グラン・タンゴ」「リベルタンゴ」というものすごい、よだれの出そうなプログラムだった。
 親分はモヒカン刈り、白縁めがね、長ラン+ボンタン風で登場。ソロで始まるシューベルトの出だしこそ不安定だったが、ピアノが入ってヴァイオリンが高音域に移ると、後は独壇場。フランクの第2楽章が終わったところで盛大な拍手が入ったのは、演奏が白熱し過ぎたからというよりは何かの間違いだろうが、とにかく音はきれいだし、表情の付け方が非常に鋭角的で、リズム感も満点。ステージマナーではなく、音楽そのものがとても個性的で、人を引きつける。
 アンコールは突然、意表を突いてクライスラー!しかも「愛の悲しみ」である。更に続けて同じくクライスラーの「シンコペーション」。ここでまた袖に下がったものの、次に登場した時には、ポケットからマイクを取り出し、ここで会場が異様に盛り上がった。
 「あのー」「えーと」を連発しながら、いかにもたどたどしく話すのだが、これがまた不思議と魅力的だ。後から思うに、あの話し方も芸のうちだったのだ。そしてまた2曲のアンコール。ナイジェル・ヘスの「ラベンダーの咲く庭で」とピアソラの「フラカイータ」。袖に下がったところで、会場が明るくなったので「おしまい」と思ったら、三度登場して、今度は前置きなしでヤコブ・ゲーゼの「ジェラシー」。聴衆は手を振ったり立ち上がったりで大喜び。話と言い、アンコールの選曲と言い、エンターテーイナーとしてもよくツボを心得ているな、と感心した。
 私は、楽器にしても声にしても、アンサンブルの演奏会にはよく行くが、リサイタルに足を運ぶことはまれだ。手が回らないということもあるし、70人のオーケストラでも、一人のリサイタルでも、料金がほとんど同じということによる割高感もある。
 私が、「この人が来るなら絶対に行く」というヴァイオリニストは、チョン・キョンファ、イブラギモヴァ、樫本大進、そしてこの石田泰尚くらいではないか?親分は私の心の中でそれほどの地位を占めている。それが今日、更に確固たるものになった、ということ。