市職員の率先垂範

 先週土曜日の「石巻かほく」という新聞で、第1面トップは「市職員 通勤は公共交通で」という見出しの記事であった。「『地域の足』維持へ率先」とも書かれている。
 見た瞬間、おお石巻市偉いなぁ、と思わず声に出してしまったほど感心した。読んでみると、今後自家用車通勤を完全に禁止するわけではなく、「月1回(12月までの毎月第4金曜日)」と書いてある。なんだ、たったそれだけか、と、今度は舌打ちをしたのであるが、それでも、何もしないよりはよほど偉い。
 市の目的は「人口減少などで運営が厳しさを増す地域公共交通の利用促進に向けた意識を醸成」することだと書かれている。「大半がマイカー利用の職員が公共交通で通ってみることで運行ルートやダイヤの課題を探り、利用者の増加に向けた方策を探る」とも。
 私にとって、マイカー通勤の最大の悪は資源浪費、環境破壊である。市の問題意識は、公共交通機関の利用促進である。高齢者の足が失われていくことについての危機感なのだろう。問題意識は私と微妙にずれている。私とて、高齢者の足の問題は放置できないと考えてはいるが、それとて、車による移動を前提とした町作りの結果なのであって、いわば「末端」に当たる公共交通機関の減少だけを問題にしても根本的な解決はない。以下、市の問題意識と私自身の問題意識を混ぜて書くことになる。
 記事によれば、自家用車通勤をしている人は、市内の勤労者の8割近く、市職員の65.5%だという。思えば、私の勤務校でも、大半は自家用車通勤で、しかも30~50㎞離れた所から通っている人が少なくない。60㎞という人さえいる。日々膨大なガソリンが消費され、リスクを負担し、しかも、お金がないはずの県が膨大な通勤手当を支給している。これが問題視されないというのは、本当に不思議だ。世の中の人にとって、「悪いこと」というのは「法に触れること」であり、「法に触れないこと」は全て「やっていいこと」なのだな。私の価値観はまったく違う。「やっていいこと・悪いこと」と「法に触れる・触れない」は必ずしも関係ない。好き放題自家用車を使う、などというのは、明らかに「やってはいけないこと」に属する。
 上に書いたとおり、記事では地域公共交通について「人口減少などで運営が厳しさを増す」と書いていて、おそらくこれは市当局が言っていることなのであろうが、私には実に勝手な言いぐさに思える。公共交通の運営が厳しいのは、後から後から道路整備ばかりやって、自家用車利用とその他の手段による移動の便利さに大きな差ができてしまっているのが要因である。
 例えば、我が家から矢本までは、立派な高盛り土道路開通のおかげで、今や車で10分しかかからないが、公共交通手段だと、駅まで自転車で10分、電車で15分。自転車を降りてからホームまでといった接続時間や余裕を考慮すると、30分では済まない。しかも、これはあくまでも矢本駅までであって、そこから目的地まではまた時間がかかる。すると、10分対1時間と考えて大きな間違いはないであろう。しかも、車の減価償却を別にして、ガソリン代だけ考えれば、車の方が経費としてもはるかに安い。
 つまり、車でしか生活できないような町作りを自分たちで積極的に進めておいて、公共交通機関の利用者が少なく運営が厳しい、などと問題視するのは、なんとも身勝手で変な話なのである。
 世の中は車が全て。私のように自らの信条(と言うより科学的精神だと自分では思っているが・・・)に基づいて、できる限り徒歩、自転車、公共交通手段による移動を常日頃から心掛けている者には、町の設計が本当に車だけを中心にしていて、歩行者には極めて冷たいものであることがよく分かる(→高盛り土道路についての話)。私は市長に、ぜひ、週に1~2時間でも、市内の各所を徒歩や自転車で移動してみて欲しいと思う。
 記事によれば、企業や施設の2割は、事故の危険性低減や社会貢献として、従業員のマイカー通勤を抑えたいと考えているという。少し(ほんの少し)救いだ。
 ただし、環境問題(主に地球温暖化)の解決に向けて、日本がほとんど前進できないのは、自分たちの豊かな生活を、ほんの1㎜たりとも譲らないという貪欲さによっている。それがおかしいということについての問題意識を持たなければ、解決の方法を間違うことになる。私はそんな心配をしている。今日はマイカー通勤禁止ですよ、と言われた日に、公共交通機関を利用せず、こっそり家族によって送迎してもらう人が増えることだってあり得る。残念ながら、身の回りはそんな事例だらけなのである。
 記事の結びには、地域振興課担当者の言葉が使われている。「まずは市役所が率先して取り組み、来年度からは民間にも声掛けして市全体で取り組みたい。」公共交通機関という表面的な現象だけ見ず、エネルギー資源や環境の問題も重ね合わせながら頑張ってね。