ヴォスの「駅長さん」物語

 今月号の岩波書店『図書』に、亀淵迪(かめふち すすむ)という物理学者が「ヴォスの『駅長さん』物語」(以下「物語」と略)という文章を書いている。私の教え子、もしくはこのブログを熱心に読んで下さっている方は、「ああ、あの人!」もしくは「あの文章!」と思いだしてくれることであろう。亀淵氏とは、1999年3月の同じく『図書』で世に出、氏の随筆集『物理村の風景』(→それについての記事。「ヴォスの『駅長さん』」あらすじも、そこに少し書いてある)に収められ、私が「担任所感(学級通信)」、「学年主任だより」の裏面に、なんと4回も引用した名随筆「ヴォスの『駅長さん』」の作者である。
 亀淵氏は、2020年11月刊の『物理村の風景』にその随筆を収めた時、その末尾に、主人公ニルセンさんが亡くなったことを既に付記している。その亀淵氏が、あの「ヴォスの『駅長さん』」について、今になって何を語ろうというのだろう?「蛇足」でないことを願いつつ、私は興味津々で読んだ。
 驚いたことに、その随筆を読んで感動したFさんという方が、伝手(つて)もあって、実際にニルセンさんに会いに行き、自分で英訳した「ヴォスの『駅長さん』」をニルセンさんに渡した。今回の「物語」は、このFさんとニルセンさんが会うに至った顛末とその時のニルセンさんの反応を描いた上で、『物理村の風景』ではごく簡単に触れているに過ぎない、亀淵氏とニルセンさんが再開を果たしてから、ニルセンさんが亡くなるまでのいきさつを、やや詳しく補足している。
 亀淵氏は、「物語」冒頭で、「ヴォスの『駅長さん』」のあらすじを紹介しているのだが、私は読んで違和感を感じた。氏が36年ぶりでニルセンさんに会い、自宅を訪ねた時の話である。氏がニルセンさんを閣僚や下院議長経験すらある偉い人であると知ったのは、ニルセンさんの書斎に掛かっていた写真によるのだが、私の記憶によれば、ニルセンさんが書斎に案内してくれて、写真を見ながら説明してくれたのである。ところが、「物語」では、「食事の後、私がたまたま開けっ放しになっている書斎を覗いていると、ニルセンさんが室内へ案内してくれた」となっている。違いは、「ニルセンさんが積極的に書斎に案内してくれた」のか、「私が覗いていたら、入って見てもいいですよ、と案内してくれた」のかである。些細な違いではない。氏は、「私がもし書斎を覗かなかったら、この(平居注:偉い人であるという)事実は語られなかったはずである。なんと床しい人柄であることか」と書く。亀淵氏によれば、ニルセンさんが、閣僚たちや国王と一緒に撮った写真を、わざわざ亀淵氏に見せようとしたとしたら、「床しい人柄」は台無しになってしまうのである。
 私は、自分自身が好きで好きで仕方がなく、何度なく読んだ上、学級(学年)通信に4回までも貼り付けた文章の、重大な点を読み落としていたことがショックだった。私はあわてて、『物理村の風景』のページをめくって確認した。すると確かに、「食事の後、席を外しての帰り、開けっぱなしになっている書斎らしい部屋を覗いていると、老ニルセンが『どうぞどうぞ』と中を案内してくれる。」と書かれている。私は顔が熱くなるほど恥じた。ところが、すぐに、待てよ、初出の形と『物理村の風景』は本当に同じなのかな?という思いが兆してきた。私は急いで1999年3月号の『図書』を確認した。すると、そこには「食事の後、老ニルセンさんが書斎に案内してくれる」としか書かれていないではないか!。これは明らかに、ニルセンさんが亀淵氏を積極的に書斎に案内した、と読める。私の記憶は間違いではなく、亀淵氏は、1999年に書いたこの随筆を、20年後、自らのエッセイ集に入れる時に手を加えたのだ。私がうかつだったとすれば、『物理村の風景』を読んだ時にこの書き換えに気が付かなかった、という点である。
 これだから歴史研究、文学研究は難しい。事実は分からない。1999年に「ヴォスの『駅長さん』」を発表した後で亀淵氏が、言葉足らずであった、不正確な表現だと思い、書き加えたのかも知れない。あるいは、ニルセンさんの床しい人柄を強調するためには、自ら自分を書斎に案内してくれたというよりは、成り行きのような形にした方がいいと思い、あえて脚色を施したのかも知れない。
 もっとも、亀淵氏が描くニルセンさんは謙虚な好人物そのものである。国王夫妻と並んで撮った写真や、閣僚の記念写真に自分が写っていることを示したとしても、それは淡々と事実を説明しているだけであって、とても自慢話をしているようには見えない。したがって、成り行きではなく、自ら積極的に客である亀淵氏を書斎に案内したとしても、それが彼の床しさを損なうようには思わない。だから、どうでもいいと言えばどうでもいいのだが、だからこそ、「ニルセンさんの床しさを強調するために脚色した」というような憶測が必要になることを、私は少し惜しむのである。
 とは言え、幸い、「物語」は決して「蛇足」ではなかった。偶然の上に更に偶然が重なり発展した、ひとつの「物語」である。これを読んでやはり思う。亀淵氏が36年の時を隔ててニルセンさんに会った時に感じたように、「こういうことがあるから人生は楽しいのだ」と。


補)亀淵氏は、「物語」の冒頭に、「ヴォスの『駅長さん』」は岩波ウェブマガジン「たねをまく」で読めると書いていて、URLも示しているのだが、なぜか実際にはたどり着けない。『物理村の風景』で読むしかなさそうだ。