台風の休校判断

 今日は秋分の日。季節の変わり目である。台風14号がやって来る直前だった月曜日はひどく暑く、しかも、風が強くて窓が開けられないものだから、これだったら、35℃でも、窓を全開にできる時の方がまだよかったなぁ、台風が南の気団を運んできたら、もっと暑くなるのではなかろうか、などと心配していたのだが、実際にはその逆のことが起きた。先週までは半袖、半パンのジョギングスタイルで職場まで行っていたのに(←もちろん、着いたら着替える)、今週は半袖、長ズボンとなり、昨日はついに長袖、長ズボンとなった。ちなみに、昨日の石巻の気温は、最高が20.4℃、最低が10.4℃だった。最高で2.7℃、最低で5.5℃も平年より低い。そして、今日は暑さのぶり返し。気温はおそらくさほどでないが、べったりとした空気で、不用意に昨日と同じ格好で散歩に出たら、不愉快に汗をかいた。
 さて、台風14号の影響は軽微だった。石川か富山あたりに台風の中心があった時には、上にも書いたように、窓が開けられないほどの風が吹いていた。しかし、その時、台風の気圧は既に980hPaまで上がり、しかも、新潟から本州を斜めに横切って宮城に来ることになっていたのだから、宮城にたどり着いた時には、ほぼ温帯低気圧状態であることが容易に想像できた。
 我が家では、高校生の娘が、「台風で学校休みになってくれないかなぁ」などと言うので、私は「電車が動いているかどうかで決まるんじゃないか?今回は止まらないよ」と言った。中学生の息子も同様のことを言うので、こちらは「バカ者!みんな徒歩通学の中学校が休校になるわけねぇだろ」と返した。
 ところが、恐ろしいことに(?)、その中学校から真っ先に「休校」の連絡が入った。市教委の判断なので、市内の全小中学校だそうである。びっくり仰天。次に娘の高校、そして、妻の勤務先。私の勤務先だけは、「明朝6時に判断して緊急メールでお知らせします」というものだった。
 夜中、南側の窓に叩きつけるように雨が当たる音が聞こえていたが、朝にはあがり、私の予想通り、多少の風は残っているとは言え、通常の社会生活には何ら差し支えのない状態であった。近年弱気のJRも、始発から通常運転しているようだった。もちろん、私の勤務先からは「通常授業を行います」というメールが来た。結局、石巻地区で授業をした学校は、石巻工業高校石巻西高の2校だけだったらしい。この2校えらい!
 しかし、冷静に考えてみると、2校が偉いのではなく、休校の判断の方がおかしいのだ。そして、なぜ、前日の夕方までに「休校」の判断がなされたかと言えば、一つの理由は、思考が科学的ではないから、そしてもう一つは、「今」に支配されているから、であろう。「思考が科学的でない」というのは、その台風が石巻にやって来る頃、どのような状態になっているか、科学的に考えられていないということであり、「『今』に支配されている」というのは、前日の強風状態だけが判断の基準になっている、ということである。重要なのは後者だ。
 思えば、東日本大震災の後、また大津波が来た時のために、それだけを価値観として、高盛り土道路や巨大防潮堤に象徴される膨大な資源の消費と、住みにくい街作りが行われた。津波だ、津波だ、というと、津波のことしか考えられないのである。これは、2011年3月11日時点の「今」に支配されている、ということである。地球温暖化が一向に深刻に受け止められないのも、「今」に支配されているからだ。世界の各地では極めて異常な気象現象が起きているにもかかわらず、実際に自分が危機に直面した(ている)人はごくわずかである。自分にとっての「今」が全ての基準だから、パキスタン(大洪水)や中国、ヨーロッパ(干ばつ)が視野に入ってこないし、十数年後にも想像が及ばない。
 定期考査の直前、私の勤務先は休校にならなくてよかった。やっぱりえらい!