「賃上げ」の怪

 もはや1ヶ月半も前の話になるが、様々な団体による年始行事を見ていると、誰も彼もが「賃上げ」を連呼していて不思議な気分になった。安倍首相の時からそうだったが、労組の委員長も首相も同じようなことを言っているというのは不思議な感じがする。
 そもそも、労働組合がなぜ存在するかと言えば、ややもすると労働者の人権を蔑ろにし、搾取しようと手ぐすねを引いている資本家に対し、弱い立場の労働者は団結して立ち向かう必要があったからだ。労働組合の存在感が薄れ、組織率が低下したのは、労働者が団結して頑張らなくても、資本家(会社経営者)の側が、労働者の人権に配慮し、搾取をしなくなったからであろう。人間が進化、もしくは社会が成熟した、とは必ずしも思わない。資本家が労働者から搾り取るよりも、労働者に収益を分配し、消費活動に活発に参加させた方が、結果として資本家にとってもメリットになる、ということが分かっただけのような気がする。その行き着く先が、首相の労組委員長化である。
 今年の正月、今まで以上に「賃上げ」が連呼されたのは、言うまでもなく、物価が上昇しているからである。首相をはじめとする多くの人々の声に押されて、最近、続々と賃上げの声が聞こえるようになってきた。なんだか変だぞ、と思う。
 なぜなら、確かに物価の上昇は起こっていて、私もかなり切実に実感できるほどになっているのだが、では、なぜその物価上昇が起こったかといえば、戦争によって物流に支障が生じた上、円高になっているからだ。特に、あらゆる活動のベースになっている石油や天然ガスの価格上昇は大きい。物価高とは言っても、企業が収入を増やすために価格を引き上げたのではない。むしろ、客離れを心配して、コストの上昇を価格に転嫁し切れていないというのが実情であろう。
 だとすれば、物価が上がったからと言って、易々と賃上げに応じられるわけがないではないか。物価上昇の背景(理由)分析や、それを踏まえた対策を考えるのではなく、闇雲に「賃上げ」で対処しようというのは短絡的だ。もしもそれができるとしたら、それまで、企業はどれほどがめつく富を蓄え込んでいたのだ?ということになる(「内部留保」は賃上げの財源としては話題にならないが、どうなっているのだろう?)。あるいは、いくら富をため込んでいたにしても、賃上げ、特にベースアップになど応じた日には、ひたすらため込んだ富を減らし、条件(環境)がよほど劇的に変化しない限りは、やがて壁にぶつかってクラッシュ、ということになってしまう。
 しかも、大企業が賃上げをすれば、人材の確保=会社を守るために、中小企業は同調せざるを得ないだろうが、それには大企業以上の無理が必要になる。大企業は首相の顔色を窺いながらの賃上げだけではなく、下請けの中小企業からの「買いたたき」を止めなければ、ゆがみは更に大きくなる。なにしろ、日本の労働者の7割が中小企業で働いているのである。
 国際情勢の不安定のみならず、人口爆発と自然環境の悪化(主に温暖化)もあって、食糧も鉱物もエネルギー資源も、際限なく値上がりしていくのは必定。対応できるうちは対応するのもいいけれど、必ず、しかもそう遠くない将来に限界が来ることは常に覚悟している必要がある。無理をすればするほど、その限界に達した時のダメージも大きくなる。
 やっぱり、根本的な解決は、社会全体でもっともっと生活の質を下げていけるようにすること、だと思う。なにしろ「現在の利益と将来の利益は矛盾する」という法則は、常に成り立つのだから・・・。