醜悪!!内閣不信任案

 内閣不信任案というのが、立憲民主党によって提出され、あっさりと否決された。なにしろ、合計数でも自民に劣る野党が結束できず、賛否が割れていたのだから、否決は提出の時点ではっきりと見えていた結論である。
 世の中には意思表示を主たる目的とする議案というのがあってもよく、その場合、必ずしも可決されるかどうかだけが問題ではないが、それにしても意味のない内閣不信任案であった。今回の不信任案提出について、ちまたでは様々な評価が飛び交っているようだが、私は迷うことなく「茶番」説に一票を投じる。
 そもそも、不信任の理由の筆頭が、物価高対策についての無為無策だというのだから話にならない。昨今の物価高は、その大半が、何かにつけて海外頼み、自分たちはまったく地に足のついた堅実な生活をしていない日本の経済構造、と言うより社会構造にある。だから、その構造をそのままにしておいて、内政的な小手先ばかりの策を弄して解決させることは難しい。物価が下がったと誰にでも実感できるような効果を狙えば、結局、ばらまきか、それに近いことをやるしかなく、また更に政府の借金を上積みする結果になるのが関の山だろう。私は消費税廃止派(所得税法人税等値上げ派)であるが、消費税の一時減税などは、首相が言っているとおり、システム変更の手間や混乱を考えると、とてもメリットのあることには思えない。
 自民党は金と権力にがめつい政党である。それは日本人の心性そのものなのだが、金と権力を握るためには何でもする。物価高が解消して国民が喜ぶことは、自民党の権力維持・増強のためには極めていいことだ。だから、自民党だって物価高対策を蔑ろにしたりはしない。むしろ、野党よりも強いくらいの問題意識を持っている。ただ、なんだかんだ言っても、彼らは政権政党である。更に大きなひずみを生むような政策を安易に採ることはできない。少なくとも物価高問題について言えば、野党が与党のやり方を不十分だと批判できるのは、無責任な立場だからであるに過ぎない。
 なにしろ私は、石油の値段が安すぎるのが全ての思い違いの源、輸入に頼らなければ何も自分たちで作り出せない日本人が、これほど豊かな生活をしているのは間違い、今のままの収入であれば、物価はもっともっと上がって当然、物価を下げれば収入も下がる、つまり、相対的に生活は苦しくなるのが当たり前、という立場の人間である。政治家の役割は、そんな問題点をはっきりと指摘し、国民に理解を促すこと、そしてあわよくば、現在の身の程知らずな社会構造を身の丈に合ったものに変えようとすること、だろうと思っている。もちろん、与党も野党もそんなことは考えていない。
 今の立憲民主党など見ていると、自民党とは大人と子供、いや、悪知恵の働く老獪な大人と思慮のない浅はかな子供の関係だな、と思う。参議院議員選挙は、自民党が大勝すること間違いない。それがいいとは思わないが、野党が勝つのがいいとも思わない。やはり、もうかるかもうからないか、損か得か、ではなく、環境問題を全ての基準において国作りをする、そんな政党が第3極として現れなければならないのだと思う。