うな丼発言について

 国家公安委員長自民党議員のパーティーのスピーチで、先日の岸田首相爆殺未遂事件について連絡を受けた直後、「うな丼をしっかり食べた」との発言をしたことが物議を醸している。野党のみならず公明党からも「緊張感が足りない。」と苦言を呈されているらしい。
 東京の本庁で和歌山から連絡を受けたとして、できることは限られるだろうから、昼食をとる時間くらいあってもおかしくない。昼食がうな丼であろうが、のり弁であろうが、それも知ったことではない。ただ、それで受けが取れると思ってわざわざスピーチで話したことについては、多少感覚を疑う。まったく「余計なこと」である。
 だが、職務に影響していなければ、更迭に値するほどのことには思えない。むしろ、私が気にするのは、その発言が妥当かどうかではなく、その発言について大騒ぎすることがどんな影響を生むか、である。
 どこでもよく見られる話だが、何か一つ事件や事故が起こると、必要の枠をはるかに超えて大騒ぎしていないと気が済まない、いや、申し訳が立たない、といった風潮がある。東日本大震災の時には、特にそれがひどかった。復旧、復興なんて、無駄な事業のオンパレードである。何かをしていれば「頑張っている」という姿勢がアピールできる。世間もそれでなんとなく納得してしまう。それが二次災害と言ってもいいような環境破壊を生むことも、筋の通らない事業であることも関係ない。湯水のようにお金と資源を消費することも気にならない。おそらく、このブログの中にも、石巻で復旧・復興のプロセスを見ながら憤っていたことについての記事がたくさんある。コロナについてだって同様である。
 うな丼を、スピーチで受けを狙って話題にすることの不謹慎を批判するだけならいい。しかし、それが、「事件直後にうな丼食っている場合か」という批判になってしまうと、パフォーマンス的な無駄なドタバタ、頑張っているふりを生むだけのような気がする。そして、特に下の立場のものは、バカバカしいほど無意味なことに振り回されることになるだろう。私はそれを恐れる。
 世間は、うな丼発言だけではなく、本当にその時、公安委員長は適切な対応をしたのかという点をこそ、しっかりと見極めるべきである。