奥新川に明るい未来

 昨日の河北新報社説は「『奥新川』終焉の危機」というものだった。仙台の市街地から西に約40㎞、作並(さくなみ)温泉の更に奥、広瀬川の源流に奥新川(おくにっかわ)という場所がある。JR仙山線に奥新川という駅があり、深い山の中に直接列車で入ることができる。しかし、社説は次のように始まる。

「JRの駅前に人影はほとんどなく、自然のさまざまな表情を楽しめる山道は既に廃止された。広瀬川に至る清流には、通行禁止のすすけたつり橋が架かる。これが、かつて多くの仙台市民に愛された観光地『奥新川』の現在だ。」

 確かに、私が小中学校の頃は、仙山線の列車から多くの人が降り、ハイキングや芋煮会を楽しんでいた。5年あまり前までは市営のキャンプ場もあった。集落はないが、2~3軒の店があって、芋煮会の道具を貸し出したり、飲食を提供したりしていた。奥新川駅作並駅との間に、八ツ森という臨時駅(2014年廃止)があり、新緑と紅葉のシーズンには列車が止まった。奥新川から八ツ森までは新川(にっかわ)と言って、こちらにもハイキングコースがあった。
 小中学校時代に何度か行った。中学校2年生の夏、私が父の勤務の都合で転校する時に、小学校6年の時の恩師と同級生に送別の芋煮会をしてもらったのも奥新川だった。大学時代にも何度か一人でふらりと歩きに行った。鉄道で山奥に直接入れる場所は貴重である。
 就職後は、石巻高校のワンゲル部の諸君を連れて、沢登りの真似事をしに行ったことがある。かれこれ25年も前の話だ。水はきれいだし、危ない所も全然ないので、安心して生徒を引率できた。駅前から沢に入り、仙山線の面白山トンネルまで往復するというものである。鉄道を敷設した時の都合なのか、ところどころトンネルで地下水路化しているのだけが玉に瑕だ。
 その前後だったと思うが、一人で面白山トンネルの入り口から右折して金剛沢を登り、沢を詰めて県境の尾根に出、面白山高原に下りて、そこから電車で帰ってきたことがあった。金剛沢に入ると、あちらこちらにトロッコ用のレールが残っている。ネットでも情報を探すことはできないが、何かの鉱山があったのだ。ネットでは、駅から比較的近い三ノ沢、四ノ沢にも昔は鉱山があり、銀や銅を採っていたという記録を見つけることができる。私が生まれるよりも前に閉山したらしい。この辺りの鉱山の歴史を調べてみるのは面白いかもしれない。
 その後は行っていない。2~3年に一度、仙山線に乗った時に、駅の健在を確かめて少し安心する程度だ。その駅も、昨年からは冬期間すべての列車が通過するようになった。
 さて、社説は「(秘境奥新川の)実態は『見放されつつある辺境』に近い。奥新川の歴史が、このまま終焉してしまうのではないかと危惧せざるを得ない」と書く。同感だ。しかし、社説が、奥新川がさびれてしまった原因について、「衰退を止められずにいるのは、一帯の整備や管理に関わってきた機関が絡み合っていることが大きい。」とするのは、決して正しくないと思う。
 奥新川には、一応車ででも行くことができる。作並温泉の側から未舗装(今でも未舗装かどうかは未確認)の山道が付いているのだ。しかし、あまり一般的ではなく、駅周辺の駐車スペースが限られていることもあって、人は基本的に列車で行っていた。これがさびれた原因だと思う。横着な今の人間は、車で行ける所にしか行かないのだ。だから、ハイキングコースの再整備以前の問題として、奥新川の復興を期するなら、まずは車で行きやすいように道路を整備することから始めるといい。そして昔のキャンプ場をオートキャンプ場にするのだ。
 と書くのは、もちろん私の本意ではない。奥新川は列車でしか行けない場所であってこそ、値打ちがあるのである。車道を整備しない限り人が行かないというなら、そのまま朽ち果てさせればよいと思う。それは奥新川がより一層自然豊かな場所になるだけのことであって、自然の側から見れば、斜陽化でも終焉でもないからである。明るい未来だ。