「英雄」が消される?

9月に入ったが暑い。昨日は、やはり真夏日で熱帯夜。今朝はかろうじて25℃を下回ったようだが、やはり真夏日。暑さが衰える気配はない。雨はほとんど降らない。福島県会津地方や新潟県は、水不足が危機的状況らしい。これだけ全国が暑ければ、膨大な水蒸気が空気中にたまるはずだが、静岡以来、大雨の話も聞かない。どこに降っているのだろう?
 今日は午後から仙台フィルの演奏会に行った。仙台フィルの50周年企画の1つで、初代理事長・故藤崎三郎助氏の功績を忍ぶ特別演奏会だそうである。申し訳ないが、私にとってそんなことはどうでもいい。プログラムにベートーベンの「英雄」(→この曲と私の関係)があったから反射的にチケットを買ってしまったのである。
 最高気温が34℃と予想されていたが、例によって仙台駅から歩いて旭が丘(青年文化センター=日立システムズホール)に行った。なにしろ、1時間に1本ずつある仙石東北ライン(快速)が、13時前後だけなく、12時の次は14時である。14時で行くと間に合わず、12時で行くと開演まで2時間もある。地下鉄代をケチるためにも、歩いて行くか、となってしまう。
 さて、今日の演奏会、指揮は1989年から1999年まで仙台フィルの常任指揮者だった円光寺雅彦氏、プログラムはヘンデル(ハーティ編曲)「水上の音楽」第1曲と第6曲、グリーグのピアノ協奏曲(独奏:小川典子)、そして「英雄」である。
 円光寺雅彦という人に対する思い入れは全くない。個性の希薄な、無味無臭の指揮者、と言ったら失礼に過ぎるだろうか?音楽的能力が高いので、いろいろなオーケストラで重宝はされてはいるが、聴いていて決して面白い人だとは思わない。私は、主に外山雄三音楽監督時代に8年間、仙台フィルの定期会員だった時期があって、そのうち3年間は円光寺氏の常任指揮者時代と重なっていたものだから、何度か氏の演奏には接したことがあるのだが、仙台フィルの「定期演奏会記録」を見ながら確かめてみると、それ以外の時期はむしろ氏の出番を避けて足を運んでいた感じすらする。
 しかし、最初に書いた通り、今日は「英雄」だから行った。これほど構造的で、しかも完成された曲であれば、指揮者が誰でオーケストラがどこかなど、さほど問題にならない。とりあえず、各楽器が楽譜を楽譜通りになぞってさえくれれば、「英雄」は力を持つ。もしも演奏に問題があったら、その時は、私が頭の中で補正すればいい。そんなつもりで聴きに行った。
 ヘンデルは、あの軽快な明るいバロック音楽が、ひどく重厚、いや鈍重な音楽として演奏された。ハミルトン・ハーティによる編曲が、どの程度影響していたのかは知らない。
 グリーグは、北欧の土俗感が薄く、とても力強い演奏だった。ノルウェーの音楽であることを忘れて、ロマン派のピアノ協奏曲として聴くなら、決して悪くなかった。アンコールに演奏された同じグリーグの「トロールハウゲンの結婚式」も楽しく秀逸。
 「英雄」は、特に第1楽章がスカスカした感じで、脳内での「補正」がかなり必要だったが、第2楽章以降はまずまず納得できる「英雄」になっていた。やはり、本当によくできた音楽だと思う。
 アンコールにエルガーの弦楽セレナーデの第2楽章が演奏された。とても美しい曲であり演奏。「英雄」より素晴らしいと言う気はないのだが、世界があまりにも違いすぎて、「英雄」の印象がかき消されそうだった。「よかった」と言っていいのかどうか悩ましい。