子どもを大切に

 (2023年12月14日「担任のお話」№29より②)


表面)12月6日付け石巻日々新聞より、「ダークマターって何もの ラボトーク参加者募集」を貼り付け。
平居コメント)私の一般市民向け教養講座「ラボ」。一流の専門家の話は文句なしに面白いし、そういう話を聞くと勉強が楽しいということがよく分かる。何点取る、というケチくさい話ではなく、そうやって作るモチベーションこそが強い。
〈余談〉4年前、大木健といロボット工学の専門家を神奈川から招いたことがある。若い(当時30代前半)のに超々優秀で、話もとても上手だということが分かっていたので、「ラボ」とは別に、日中、高校生向けの講演会を開いた。当時、私の在籍校は塩釜高校だったが、テーマがロボットだし、駅から近いので、会場として石工視聴覚室を借りた。各高校に大々的に宣伝活動を行い、20名あまりの高校生がやって来た、が、石工生はゼロだった。哀しい思い出だ。


裏面)11月15日付け河北新報より、「バス車内 泣きやまぬ子に怒声」を貼り付け。
平居コメント)投書に基づく記事で、元々の投書は再録されていないが、この記事を読めば何が起こったかは分かるだろう。
 みんなが気持ちよく生活できる社会であるために、優しさや思いやりは大切だ。記事に論点が網羅されているので、これ以上の解説は不要。


(ブログ用の加筆:記事の下に、専門家のコメントとして県内の某大学教授のコメントが掲載されている。わざわざ大学教授のコメントを求めるような話かな?と思うが、その部分の見出しは「社会全体で子どもを大切に」だ。
 子どもは元々、親にとっても社会にとっても大切なもので、それをわざわざ言わなければならない所に、生物本来の姿から離れてしまった人間のゆがみとでも言うべきものが表れている。
 同時に、私が危惧するのは、「子どもを大切にしよう」と言えば、大切にする方法を誤解する人がたくさん現れるだろう、ということだ。すなわち、毎日車で子どもを学校に送迎する親、子どもにスマホを持たせる親、を見ていると、その人たちにとって、「子どもを大切にする」とは「子どもが喜ぶことをする」ということだと想像がつくからだ。
 「楽」と「便利」は間違いなく人間をダメにする。まして子どもであればなおさらだ。30年後、50年後にたくましく生きていける人間へと成長させようと思うなら、「今、子どもが喜ぶこと」をしてはいけない。
 しかし、泣き止まない3歳児を第三者が怒鳴りつけるのは間違いだ。子どもに優しく接することと、厳しく接することは矛盾しない。どのようなことについてかによって、厳しくした方がいい場面と、寛容に接した彭がいい場面とに分かれる。その見極めこそ大切だし、今はそれがまったくできていないのではないか?そんな時に、「社会全体で子どもを大切に」と言えば、大人が子どもの言いなりになり、大人が子どもに対して一切強いことを言えない、という事態になりかねない。○先生には、「大切に」するというのがどういうことかまで含めて問題提起して欲しかった。)