叱る? or 叱らない?

(1月17日付け「担任のお話」№32より①)


 冬休み中のことをふと思い出した。私は、高校ラグビー全国大会(花園)に関する新聞報道を見ていた。2回戦で宮城県代表の仙台育英が、大分代表の大分東明に0対74で負けたという記事だった。河北新報には「何をやっても歯が立たない完敗だった」と書かれていた。
 仙台育英といえば、宮城県では向かうところ敵なし、目下28年連続で全国大会に出場している強豪校である。しかも、今年の県大会決勝だって、佐沼高校に77対0というワンサイドゲームによる勝利であった。全国優勝したことで名を馳せた硬式野球部よりも、県内での突出度ははるかに高い。その育英を74対0で破った大分東明って何者だ??
 ところが、その大分東明は、次の試合で茨城の茗溪学園に敗れ、茗溪学園は次の試合(準々決勝)で福岡の東福岡に敗れた。東福岡は更に1回勝って決勝戦に進んだが、桐蔭学園(神奈川)に負けて準優勝に終わった。
 私は、世界って本当に広いんだなぁ、と感動を覚える。育英がいかに県内で突出していても、全国には全く歯の立たない相手がたくさんいる。もちろんこれは、どんな分野でも言えることだろう。自分の周りだけを見て、変な一喜一憂はするまい。


【叱るべきか or 叱らないべきか?】

 先週金曜日の学級日誌に、「物理、出していない人がいるとかいないとか。『いたとき』はお叱り願います。」と書いてあった。「物理」とは、物理の冬休み課題なのだろう。私はそれに、次のようなコメントを書いた。大切なことなので、全員に紹介しておく(一部改)。

「現国の漢字ノートだって、出さない人が相変わらずいる(すこし少なくなったかも)。「もっと叱ればいいじゃん」と言われそうだが、私は、本当は叱るのは変だと思っている。私のために勉強してもらうわけでもあるまいし、高校は任意なのだから、勝手にサボって、赤点が付いて留年、それでいいのではないのかな?本人のために叱ってあげるのが先生の責任?課題を出す出さない程度のことであれば、「甘ったれるな」である。
 ただ、少し別のことも考える。学校=諸君の学習環境は宮城県民を始めとする多くの人の支えによって成り立っている。そのことを意識すると、サボるというのは、諸君に期待し、学校を支えてくれている人に対する裏切りだということになる。誠意がない、とも言える。するとやっぱり、先生には勉強しない人を叱る義務があるのかな、とも思う。
 つまり、勉強が本人のためのものだとしたら叱る必要はない、社会のためのものだとしたら叱るべきだ。さて私がどうすべきか、諸君はどう考える?」