「さよなら ほやマン」への道・・・ラボ第31回

 昨日は、ラボ第31回であった。予告通り、今回の講師は「さよなら ほやマン」の監督・庄司輝秋氏。演題は「『さよなら ほやマン』 映画制作の舞台裏から見た遅咲き映画監督の旅」。
 なんと今回は、7年になんなんとするラボ史上初めて、1ヶ月前に満員御礼となった。おそるべし「ほやマン」人気!!しかも、先日このブログにも書いた通り(→こちら)、主演のアフロが毎日映画コンクールスポニチ新人賞を受賞したことなどもあったものだから、本番へ向けての盛り上がりは尋常ではなかった・・・と言いたいところだが、昨日受付をしていたら、予約していない人が比較的早い時間に4人もやって来た。なにしろ、限界まで人数を拡大して「満員御礼」としていたものだから、これは困ったぞ、と思っていたら、なんとびっくり、無断欠席が4人出てしまって帳尻が合った。盛り上がる前に冷や汗をかいた。
 監督(25年前の教え子)には、2ヶ月ほど前に「『ほやマン』の話ではなく、これをきっかけにして映像論、映像哲学をまとめてみてよ」とお願いしていた。ところが、数日前に届いた資料では、完全に「『ほやマン』が出来るまで」もしくは「『ほやマン』制作秘話」とでも言うべきものになっていた。
 見た瞬間、「あれれ・・・」とは思ったが、丁寧に書かれた資料を読んでいくと面白いので、これはこれでいいかな、という気になってきた。いや、むしろ、変に抽象的な話になってしまうより、具体的な話の方が面白い、しかも、自分自身の人生と絡めながら、かなりあけすけに映画制作のプロセスを描いているので、「ラボ」らしい知的刺激が得られるな、と思うようになった。
 よく準備された話は、本当に面白かった。事前の打ち合わせのミスから、監督は持ち時間が120分(チラシに書いてあるラボ全体の時間)だと思っていたらしく、約20分オーバーの80分のお話になってしまったのだが、まったく退屈しなかった。それどころか、この話なら、懇親会なしで話だけでもよかったなぁ、と思えるほどだった(懇親会で同じことを言っていた参加者が複数名いた)。映画制作の舞台裏を、これほどオープンに聞く機会などなかなかないだろう。
 監督は、2013年に短編「んで、全部、海さ流した」を撮った後、長編作品を作るように勧めてくれる人がいたが、なかなか脚本が書けなかった、と言う。内側から湧いてくるものがなければ書けない自分は、職業映画監督にはなれないなぁ、と思ったそうである。この話には監督の生真面目さ(良心)が表れているし、逆に言えば、内側から湧いてくるものがあったからこそ「ほやマン」が生まれたわけで、それこそが「ほやマン」が人の心を動かす理由なわけだ。
 一方、主役が新人賞を取ったことに象徴される通り、この映画の技術的な勝因は、何と言っても第1にキャスティングである。これまた先日書いた通り、私の評価としては黒崎煌代がトップなのであるが、プロデューサーと意見が対立する中、黒崎で押し切ったのは監督だったらしい。アフロの一本釣りといい、黒崎の押し切りといい、監督の手腕以外の何ものでもない。弟役と漫画家役の二人はオーディションで選んだが、いろいろな俳優たちが所属する事務所経由で公募したところ、どちらにも200人の応募があったという。もちろん、選ばれるのは1人。本当に厳しい世界だ。そしてもちろん、監督としてメガホンを握れる立場に立つことは、それよりも狭き門であるに違いない。
 終了後、例によって少人数で2次会に繰り出した。日付が変わったのを潮に、ご機嫌で散会となった。表現芸術というのは、人間としての成熟が反映される世界なので、42歳(撮影時)というのが「遅咲き」ということは全然ないな。

 

補足)そうそう、昨年9月7日の記事に、私は「最終的には映画を撮りたいという気持ちを持ちつつ、突然そんなことができるわけがないので、20年にわたってCM会社で映像技術を磨いてきた。そして今回、ついに本物の映画を撮った」と書いた。昨日の話を聞いていると、どうやらそれは間違いだったらしい。もともと、映画を撮ろうなどという気はなかったが、いわば「巡り合わせ」によって「監督」と称されることになったようだ。その「巡り合わせ」に関するお話も面白かった。