株価、そしてウクライナ

 金曜日の新聞第1面には、どの新聞でも、「東証史上最高値」「バブル超え」の文字が躍っていた。
 私は、株というものの仕組みがよく分かっていない。ただ、個々の会社の株の値段が上がれば上がるほど業績好調、日本企業の平均株価が上がれば上がるほど日本全体として好景気であることを意味するのだろう、と漠然と認識している。その程度である。
 しかし、マスコミの論調の多くがそうであったように、景気がよいという実感はない。おそらく、「バブル」再来なのではないか、という気がする。実態のない株価上昇だ。また、たいていの報道は、外国の株価を引き合いに出し、34年前の株価になったからどうした、諸外国は数倍~数十倍にもなっている、世界の株価時価総額トップ10に、34年前は日本企業が7つも入っていたのに、今はゼロだというようなことを伝え、「国力の低下」を嘆いている。1ドルが150円になっていることも含めて、正にその通りなのだろう。
 私は環境最優先主義者で、そのためには経済を縮小させるしかないと思っているので、株価がじゃんじゃん上がればいいとは夢にも思っていない。しかし、私のような考えに従って経済を現状維持、または縮小させようとして株価が上がらないならともかく、見境のない借金をしてまで景気刺激を行っているにもかかわらず、株価が上がらないというのは問題であり、確かに「国力の低下」ということなのだろう。しかも、「国力の低下」は、おそらく、経済についてだけではなく、哲学的な思考力においても起こっているに違いない。そちらがより一層深刻な問題だ。
 なぜ国力が低下するのか?心当たりはたくさんある。そのことについては1年半ほど前に1文を書いていて(→こちら)、今も考えはまったく変わっていない。学校という場所に勤務する者として、もちろん私自身はそのような傾向に必死で逆らっているのだが、それが学校の現状を変えることには一切なっていない。そのことを情けなく、また、申し訳なく思っている。

 

 昨日は、ロシアのウクライナ侵攻開始2年目の記念日であった。もう2年も経つのか、とも思ったが、当のウクライナ人にとっては長い長い2年だったことだろう。しかも、終わりが見えない。1度始まった戦争を終わらせることがいかに難しいか、ウクライナ戦の事情はそんなことを教えてくれる。
 新聞では、ウクライナの民間人の死者が1万人を超えたことが大きく取り上げられ、それに比べると、兵士の死者が7万人という報道は小さい。兵士なら死んでもかまわないということなど絶対にない。しかも、ウクライナの場合は、徴兵によってやむを得ず兵士となった者もいるし、職業軍人にしても、自分達が望んだ戦争ではない。
 侵攻を開始した当初、プーチンは、ナチスウクライナの脅威から自国を守ることを戦争の理由としていた。最近は、そんな主張を全然聞かない。そんなのはこじつけであると誰もが感じていただろうが、では本心は何かと言えば、よく分からないのである。ごくごく単純に、自分が欲しいと思った土地を力尽くで奪いに行ったというのが本当のところではないかと思うが、情報が世界中を一瞬して駆け巡る世の中で、いくら独裁者といえども、そんな戦争を始められるというのは信じがたい。
 ゼレンスキーを始めとして、ウクライナの政府高官がよく言う通り、世界がウクライナを見捨ててロシアが勝利すれば、力によって自分の欲望を遂げるということがまかり通るようになってしまう。だが、武器弾薬さえ無制限に供給すれば、ウクライナはロシアに勝利できるかと言えば、決してそうはいくまい。
 言論統制によってだまされている、もしくは意思表示が出来ないだけであって、事実が見えていれば、多くのロシア人が戦争に反対し、即時終戦・撤退を願うような気はする。しかし、実際には、ロシアの人々は自由に考え、意思表示することができない。利益誘導も行われていることだろう。そんな中で、プーチンやメドベージェフといったこの世のちょっとした亀裂が、どんどん大きくなっていき、やはり最後は、暴力の大爆発とも言うべき世界大戦による破滅で目を覚ますしかないのだろうか?なんだか、物理法則を見ているようだ。
 ウクライナの人々の平安だけではなく、人類に未来がありますように・・・。私はただただ祈る。