兵庫県知事、もしくは兵庫県知事選挙に関する問題がまだ尾を引いている。私の考えは、今の時点でも、先日の本ブログ記事に対する某兵庫県民のコメントに返したコメント(→こちら)の通りで、何が本当かはまったく分からない。私が今なお兵庫県民だったとしても、ぼんやり静観する以外に出来ることはない。いずれ、真実は明らかになってくるだろう。
それでも、今回の知事選に関して、絶対に問題だと思うことが二つある。ひとつは立花孝志氏の動きについてであり、もうひとつは「オールドメディア」についてである。
立花氏に関しては、既に多くの人が言及し、政治的にも問題視されているとおりだ。当選を目指さずに立候補し、「自分には投票しないでくれ」と訴えながら、名前は出さないまでも、特定候補者を当選させるべく立ち回るなどというのは論外である。そんなことをすれば、同様の候補者を立てることで、何倍もの選挙運動が出来る候補者が出現する。法令で禁止されていないからやってもいい、という考え方が、そもそも世の中をメチャクチャにする。都知事選挙のポスター問題もしかり、公序良俗に反するとさえ批判された政見放送しかり、である。良識とか常識というものによって、法令の精神を守る方向に動けない人が現れれば、法令の網の目をどんどん細かくしていくしかなくなる。しかも、法令の網の目を細かくすることと抜け道探しをすることはいたちごっことなり、ただただ窮屈で融通の利かない世の中を作り出す。
今回の知事選挙は、「SNS対オールドメディア」という対立の中で、SNSが勝利を収めた選挙だったと言われる。「オールドメディア」とは新聞やテレビのことを言うらしい。今日、私が問題とするのは、実際に「オールドメディア」に非があったかどうか、ということではない。新聞やテレビを「オールドメディア」であると言うことによって、あたかもそれらが「オールド」=「時代遅れ」なメディアであるというような風潮が、特に、日頃からそれらとの関係が薄い若者達の間に広まっていくことを危惧するのである。日々「気分」で生きている人たちは、そんな罠に簡単に落ち込んでいくだろう。
絶対に言えるのは、「オールドメディア=偽」「SNS=真」などということはありえない、ということである。
私は新聞愛好者である。このブログにも、新聞記事に触発されたり、それを批判的に検討することで書かれた記事が多く存在する。しかし、新聞は常に真だなどとも思っていない。先日刊行された拙著『実用「哲学する」入門』にも、新聞(だけではなくマスメディア)が推定無罪の原則を軽んじる(=人権意識が希薄である)ことや、言論・表現の自由を乱用することで社会をゆがめることについての批判的な記事を採録している。新聞とて、商売を考えると、読者のニーズに応えないわけにはいかず、スポンサーに不利なことは書きにくい(パチンコ屋や電力会社の広告が特に怪しい)。
それでも、「オールドメディア」の報道は責任の所在がはっきりしているし、少なくとも3人以上の目を経なければ公開されない。しかも、ほとんどの場合は、記者が実際に現場に足を運んで取材した上で書かれる。一方、SNSではまったく無責任に、匿名の情報が垂れ流される。総合的に見た時に、どちらの情報が信頼に値する可能性が高いかは明らかである。少なくとも、「オールドメディア」を時代遅れの情報伝達手段として、よくよく検討もせずにその情報を否定することは間違いだ。
どのような情報を利用するにしても、無批判に鵜呑みにするのではなく、その情報の真偽を、思い込みや決めつけを排し、広い視野に立って慎重に検討することが大切だ。そんな姿勢と能力(情報リテラシー)に支えられなければ、どんな情報も凶器になり得る。
とにかく、「オールドメディア」という否定的イメージの呼称は止めた方がいい。そこに含まれるメディアは新聞、テレビだけだろうから、いっそ「新聞・テレビ」と書いた方が、字数も少なくて済む。それで十分だ。