古之学者為己、今之学者為人



 『論語』に次のような言葉がある。「子曰く、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」。中国の古典においては、たいてい、「昔、古いもの」はいいものとして、「今、新しいもの」は悪いものとして語られる。ここでもそうだ。

 昔の学者(勉強する人)が自分のために勉強したというのは理解しやすいが、今の学者は人のために勉強するというのは分かりにくいだろう。これは、人のお役に立とうとして勉強するというプラスの意味ではない。人に褒めてもらうために勉強するというマイナスの意味の言葉だ。

 残念ながら、学校には試験があり、試験をすれば、点数だけによる絶対評価だけでは不都合もあって、やむを得ず順位や偏差値が登場するが、こちらはこちらで落とし穴がある。上がった人がいれば必ず下がった人もいて、全員が伸びたという状況は把握しにくい、ということだ。だから、それを一つの目安として用いるのは構わない、もしくはやむを得ないとしても、諸君がそれにばかりこだわると、それこそ「人の為にす」という状態に陥ってしまうだろう。「大学入試」なるものが目の上のたんこぶになっているから仕方ない部分もあるが、諸君の目標は常に、人に勝つよりも自分を伸ばすことである。精一杯努力して、自分は伸びた、成長したという実感が得られれば、それこそが素晴らしい。自分と競い、今までの自分に打ち勝ち、自分を伸ばそう。