「偉くなる」な



 最近、テレビや新聞のニュースでよく見聞きするのは、何と言っても警察の不祥事である。昨年の神奈川以来、本当にこれでもか、これでもかという程出て来る。なぜ警察にこれほど不祥事が多いのか?私は警察の内部には全く詳しくないが、いささか心当たりがないでもない。

 それは、警察が権力機関であり、かつ、官公庁の中でも特にトップダウン(上意下達)が強い所であるらしい、ということだ。権力機関であるということは、警察が本来何をすべきかということを忘れて、簡単に言えば「威張る」ために、その地位に就く人間を生みやすい、ということであり、トップダウンが強いということは、自分自身の頭で是非を考えず、上司の指示を待ち、その通りにしか動けない人間を生みやすいということである。本当に立派な警察官というのは、「ヒラ」の中にこそいるんだろうなぁ。

 手前みそで申し訳ないが、そんなことを考えていたら、私が年度の初めに諸君に示した「担任基本方針」は、今年度クラスで何をするかということについてのみならず、生きていく上で実に意味のあるものだという確信が、改めて沸き起こってきた。ここに再録しておく。

 1:どうすればより一層レベルの高いものを獲得できるか、どうすればより一層楽しい生活が出来るか、常に考え努力する。

 2:人の言うことに惑わされず、常に自分自身で何が正しいか(それは本当に正しいのか)考え、はっきり主張する。

 3:自分を取り巻く社会(学校、友人、家族から天下国家に至るまで、つまりは他者全て)に対して関心を失わず、広い視野で考え、行動する。

 4:問題は話し合いによって解決する。

 ところで、私も石高教員の中では「ひょっこ」であるが、それでも諸君のちょうど二倍の年月を生きてきた。この人生経験を元に思うに、「偉くなりたい」という欲望ほど人を堕落させるものも少ない。自分が正しいと思ったことを追求し、進みたいと思った道でひたむきに生きて、結果として「偉くなった」人はたいてい立派なのであるが、「偉くなること」を目的として生きた人は必ず世の中を悪くするのである。私は諸君が「偉くなること」など全く望んでいない。私が「出藍の誉れ」とか「後生畏るべし」とかつぶやく時、そこにそんな意味など全く含まれていない、ということは、既に一年も私と付き合った諸君には自明のことである、と思う。