「楽」と「便利」は落とし穴

(12月22日「担任のお話」№30より①)

 

 今日は冬至。今年の授業も今日でおしまい。
 ところで火曜日、諸君の体育の授業に混ぜてもらった。昔から、自分のクラスの体育の授業にはLHR感覚でよく混ぜてもらう。ところが、今年は週に3回ある体育が全て自分の授業とぶつかっていて出られない。今回、特編授業のおかげで、ようやく参加が実現したということだ。
 学級日誌には「先生が速すぎて怖いと思った」と書いてもらったが、40分あまりで7周(8.4㎞)ということは、そのペースを維持したとしても、ハーフマラソン1時間45分相当だから、平凡な市民ランナーのペースである。それが速く見えるということは、生徒が遅いのだ。
 ちんたら走っている生徒を抜きながら走るのは楽しい。授業なら、事前に予習をして、いかにも先生は知識が豊富だ、みたいな顔をすることが可能かも知れないが、体を動かすことについてはそんな付け焼き刃が通用しない。こういうごまかしのきかないことっていいなぁ、と思う。
 最近私は、時間を取るのが難しいので、週にせいぜい1回くらいしか走りに出ない。それでも、毎日、自宅と学校の往復6㎞あまりを全力で歩く(約1時間)、車は基本的に使わない(←これがとても重要)、といったことを続けていると、今くらいの走力は維持できる。
 体力は目に見えやすいが、知力は見えにくい。おそらく、私と諸君との間には、知力において走力よりはるかに大きな差がある。なぜなら、スマホは持たず、本や新聞を読んでは必要に応じて書き写し、考えたことを文章化する、といった作業を私は毎日続けているからだ。
 「楽」と「便利」は本当によくない。30年後、40年後にまともな生活をしていたければ、「楽」と「便利」はでいるだけ遠ざけた方がいいと思うよ。


 【席替えについてのあれこれ】

 定期考査が終わったタイミングで、と思い、5日に席替えを実施して2週間が経った。今回は担任専決なし、100%純粋くじ引きだった。
 なぜくじ引きなのか?それは、席替えは必ず利害が対立するので、希望を聞いていては調整が付かないし、周りの友人を選べないことによるメリットも大きいからだ。それは、どんな人とでも折り合いを付けながら生きていく処世術を身につける、ということである。(私の経験上、人の印象というのは、直接接してみると逆になることが多い。)
 一部、視力など、身体的な事情によって調整をし、「決定」となった後で、更に変更の希望が出された。理由が明瞭でないその希望に対しては、何人かの諸君から否定的な意見が出て、結局認められなかったことは、上に書いたような席替えの趣旨からすれば正しい。M1には、よく言えば善人、悪く言えばぼんやりと当たり障りなく生きている人が多いから、理由なんか示さなくても、なんとなく「いいよ」となるのではないか、と私は予想していたのだけれど・・・。
 丁寧な議論や説明をしてはいなかったが、諸君の席替えについての理解は本質的だし、意思を明確に示したことも立派だと思った。私が諸君のすることに感心するのはとても珍しい(笑)。