自転車で清塚信也

 昨晩、10時過ぎにちょっと見てみようかと思って、Eテレ「クラシック音楽館」をつけたら、ブラームス交響曲第3番の第1楽章の終わりくらいを演奏していた。テレビの番組表にも曲目は書いてあるので驚かないのだが、驚いたのは、コンサートマスターの席に我が(←図々しいですね=参考記事)西村尚也氏が座っていたことである。おいおい、全然聞いていないよ(笑)。
 昨日放映していたのは、10月25日の第1994回定期演奏会である。彼は、9月以来ずっと日本にいたのだろう。それにしても、私が会った9月末に、10月の出演予定が決まっていなかったわけはない。どうして教えてくれなかったのだろう・・・?言ったところで、平居がN響の定期を聴きに来られるわけがないし、放映予定はまだ決まっていない、決まった時にはわざわざ知らせるほどでもなかろうと思った、ということではないかと想像する。

 ところで、昨日は、午前中にラボの後片付けを済ませると、午後は「まきあーとテラス」に清塚信也のリサイタルを聴きに行った。1日の石田組に続き、今月はエンタメ路線である。おかげで、明日の山田和樹仙台フィルは断念。
 深酒をするであろうラボの翌日に音楽を聴きに行く予定を立ててはいけない、と思っていたのだが、清塚信也なら眠くなったりしないだろうと思って行くことにした。なにしろ、クラシック音楽を日頃聴かない人まで含めて、様々な階層の人から支持されていて、クラシック分野のピアニストとしては初めてとなる日本武道館でのリサイタルも行ったという人気のピアニストである。私も、Eテレ「クラシックTV」などを時々見ながら、一度ライブに行ってみたいと思っていた。おかげで、チケットはひどく高い(6000円!)のだが、仙台までの交通費がかからないので我慢することにした。ところが・・・である。
 私がまきあーとテラスにチケットを買いに行ったのは、発売開始からさほど時間の経っていない10月中旬の日曜日である。驚いたことに、その場で買えたのは「チケット引換券」であった。そして、次のようなことを言われた。

・12月3日9時から16日17時までの間にチケットと引き換える必要がある。
・全席指定だが、自分で席を選ぶことはできない。

 え?どうしてこんな面倒な手続きが必要なの?私のママチャリで、まきあーとまでは20分以上かかる。往復で小一時間だ。チケット購入のためだけに、2回も足を運ぶのはなかなか大変なのである。そこに合理的な理由でもあればいいのだが、窓口のおじさんに聞いても理由は分からないと言う。コンビニで買っても、同様のプロセスになるらしい。
 文句を言っても仕方がないので、私は引換券を購入し、先週の土曜日に本物のチケットと引き換えに行った。名前を聞かれる。探しているのを見ていると、引き換えの順番とかくじ引き方式ではなく、平居のチケットはこれ、と決めてあるらしい。2階のC-32という席だった。なぜ私がそこなのかは分からない。何から何まで分からないのである。

「分からぬ。全く何事も我々には分からぬ。理由も分からずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ。」(中島敦山月記」より)・・・笑

 満席の演奏会は2時間半以上続いた。曲はショパンの「舟歌」以外すべてアレンジもので、おしゃべりの時間がとても長い。トークショーとしては確かに面白いし(客席は頻繁に大爆笑)、技術的なレベルはとても高くて、それを見せつけるかのように猛スピードの曲を多く演奏する。日本人が作った最高級ピアノ=YAMAHA CFXの性能を極限まで引き出すかのような音(繊細さ、音量の幅など)も素晴らしい。
 だが、おそらく私はもう行かない。ただのショーである。音楽を聴く本物の喜びというか、深い精神的な体験、というようなものはなく、ただただ「すげぇ」「おもろいなぁ」というだけなのである。その点、同じエンタメ路線でも、石田組の方がはるかに正しく(?)音楽的だ。チケットの販売方式が、果たして清塚信也と関係するのかどうかは知らないが、それもやっぱり不愉快だ。 
 清塚は、羽生結弦が現役時代、ショートプログラム用の曲を作ったことがあるらしく、会場の入り口には羽生結弦からという立派な花束が飾ってあった。多くの人が、その前で写真を撮っている。どうも、世の中の人々の感覚というのは分からない。