情報リテラシー

(10月26日付け「担任のお話」№24より)

ブログ用の補足:私はいつも、冒頭に、学校生活とはさほど関係がないような400~600字程度のエッセイ風の文章を置く。今回も決して例外ではないのだが、少し違う。裏面に10月12日付けの読売新聞「スキャナー」欄「ハマス英雄視 偽情報拡散」という記事を貼り付けた。その記事がB4全面という大きなもので、コメントを書くスペースがなかったものだから、そのコメントを表の冒頭に置いた。

 

 人間の経済活動(ぜいたく)によって地球が壊れそうだというのに、またもや戦争が始まってしまった(知っているよね?)。今度はパレスチナだ。
 ユダヤ人が政治・経済に極めて強い影響力を持っているアメリカは、ユダヤ人国家イスラエルを全面的に擁護し、パレスチナ人(アラブ人)武装組織ハマスをテロリストだと非難している。ヨーロッパも大同小異だ。確かに、この半月だけを見てみれば、攻撃を始めたハマスは悪い。しかし、パレスチナの過去100年の歴史をたどってみれば、話はそんなに簡単ではない(今や地球上のどんな問題でも私たちの生活に影響するし、ユダヤ人とアラブ人との関係は世界大戦にも発展しかねない大問題なので、調べてみることを勧める)。
 それはともかく、もともと戦争は情報戦の要素が非常に強い。通信手段の発達によって、近年はそれが急激に加速・巧妙化している。いったい何が信じられて何が信じられないかは本当に分かりにくい。ただ、間違いなく言えることは、あらゆる情報を疑う必要があり、そのためには広い知識(上の例で言えば、パレスチナの歴史や各組織の性質など)がなけれなならない、ということだ。もちろん、これは日頃諸君が接するあらゆる情報について言えることだし、オリエンテーションで言った授業(勉強)の心得は、こんな場面でも有効である。

 

【 問われているのは何を学んだかである(続)】

 先週、諸君自身による「振り返りシート」の結果を紹介したのに続き、今週は、私が思ったこと(のごく一部)を書いておく。

①    成功の対義語は「失敗」ではない。
 諸君自身も問題は多々感じていたようだが、参加そのものや企画内容について「よかった」と思っている人が圧倒的多数だったことはすばらしい。
 成功の反対は失敗ではなく、「何もしないこと」だと時々言われる。何かに挑戦するからこそ失敗もし、そこから得るものもあるのである。何もしなければ、プラスもマイナスも生まれない。それは大きなマイナスだ。
 上手くいかないことがあったとしても、挑戦し、何かを学ぶことができた。その実感についての「よかった」であって欲しい。

② 甘ったれてはいけない
 2~3の諸君であるが、「担任が何もしてくれない」という不満を書いていた。おそらく、それは上手くいかないことがあった場面でであって、全てが順調なら出て来ない不満だろう。諸君にとって都合のいい場面で私が手伝う場合、諸君にとって不都合な口も挟むようになる。それでいいか・・・?
 私が諸君のすることに介入すると、ただでさえも頭を使わない諸君が(失礼!)、ますます頭を使わなくなる。しかし、学校では、担任の責任が問われる場面も多く、生徒任せにできる場面は限られている。生徒会行事である文化祭くらい、生徒に委ねてもいいではないか。右往左往し、失敗しながら頭を使い、学べばいいのだ。
 ただし、私は責任者として安全と衛生の管理については口を挟んだ。そして、諸君の能力や人間性もよく観察させてもらった。よしよし。

③ 「そんなこと言っている場合じゃないよ・・・!」について
 売れるスピードに調理が追いつかず、服装や検便で違反の生徒が、禁止行為に及ぼうとした時、私が注意するとそんな言葉が返ってきた。
 世の中でも、同様のことは時々言われるわけだが、それはたいてい悪いことを強引に正当化するための方便だ(特に戦時)。その場合は、人の生死に関わるのでもない限り、その場合は、規則を破るのではなく、規則を破らなくてもいいようにやり方を変えなければならない。

④ 価値は手間に比例する
 先日、授業で「文化」とは何か?という話をした。別に石工祭を意識していたわけではないが、当然、応用は可能だ。大切なのは・・・
「文化の質は費やした労力に比例する」ということである。居残り作業も含めて、一部の諸君は多くの労力を費やした。装飾など、買ったもので見栄えをよくするより、拙くても自分たちで作ったものには価値がある。それが文化の性質だ。

とりあえず・・・。


*その他の記事(11月の予定について)は省略。