左手のピアノ



 先週金曜日の夜、仙台フィル定期演奏会に行った。この日の目玉は、舘野泉(70才)がソロを弾くラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」である。

 マニアックな話と思ってはいけない。舘野泉は最近、民放といわず、NHKといわず、相次いで特集番組が作られ、新聞にもたびたび取り上げられる、ほとんど「時の人」と言ってよい存在なのだ。彼は元々優れたピアニストとしてフィンランドを本拠地に活動していたが、2002年1月9日、演奏会終了直後、ステージの上で脳溢血のために倒れ、右半身不随となった。しかし、強い意志でリハビリに励んだ結果、2004年に左手だけのピアニストとして復活を果たした。これだけでも、とりあえずはドラマではあるのだが、「時の人」になるには十分でない。人々が驚いたのは、復帰した時に、彼の音楽が以前よりも深みを増していたということであり、その後の「左手ピアノ」を新しいジャンルとして切り拓いて行く活発な活動であった。

 1931年に作曲家としての活動をほぼ終えたラヴェルが、なぜ、その後左手のための曲を書いたのかというと、第1次世界大戦で負傷し、右腕を失ったピアニスト、パウルヴィトゲンシュタイン言語哲学者として有名なルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの兄)から依頼を受けたからである。しかし、作曲家というのは単に頼まれたというだけでは曲は書かない。「やってみようか」と思うに足る何かが必要である。ラヴェルは、左手だけでピアノを弾くという思ってもみなかったことの可能性に面白さを感じ、この名曲(ジャズ風で実に面白い!)を書き上げた。以後、ヴィトゲンシュタインの依頼を始めとする様々な事情で、2003年、舘野が復帰を目指して左手用の曲を探し集めた時、この世には既に500曲もの左手用の曲が存在したというから驚く。そして、舘野復帰後は、彼のために左手用の新しい曲が作られ始め、人類は左手用のレパートリーを拡張中である。

 事情の講釈が長くなってしまったが、このことから私がまず思い至ったのは以下のようなことである。例えば、サッカーというスポーツは、五体満足な人間がわざわざ両手を使わないという制約を自分たちに科することによって成立している。とすれば、右手を失ったピアニストのやむを得ない事情によって左手用の曲が作られ始めたとはいえ、両手の使える人間が、あえて左手だけでピアノを弾こうとしても不思議なこととは言えない。つまり、左手ピアノは仕方なく左手なのではなく、左手ピアノというひとつの形式と考えることが可能である。

 しかしながら、サッカーの場合は、両手が使えないことによって体と体の直接のぶつかり合いが増えるとか、パス回しが面白くなるとかいった、「制約」による価値が生まれている。何かを生み出す「制約」には価値がある。一方、左手ピアノは、「制約」による新たな価値を生み出しているだろうか?答えは「否」だろう。何より証拠に、両手の使える人が積極的に左手用の曲をレパートリーとしている話は耳にしない。

 ここで思い浮かぶのは、ストラビンスキー、R・シュトラウスプロコフィエフといった20世紀の作曲家が、バッハやモーツァルトに帰ろうという動きを見せたことである。音楽を含めた人間文化の歴史は、基本的に大規模化、複雑化をもって「進歩」としてきた。それが行き着く所まで行った時に、人は、小規模で単純な音楽に改めて目を向けたのである。これが何を意味するかというと、音楽によって表現したいことは必ずしも大規模、複雑であることを求めない、小規模、単純であっても、それは十分に能弁であり得る、ということである。

 ピアノを左手だけで弾くというのは、正にそういうことだと思う。大規模、複雑でなければ表現できないと思う限り、それはハンディでしかないが、表現力と規模、構造が必ずしも比例するものでないとすれば、左手でも十分に豊かな音楽は奏で得る。左手ピアノの評価というものは、音楽の豊かさとは何か、ということに対するある種の答えなのだ、と思う。