私の勉強法



「高校時代に、お前はいったいどのように勉強していたのだ?」と生徒から尋ねられることもしばしばだし、あまり話題のない時期でもあるので、今日はそのことに一寸触れておくことにしよう。あまり隠すことなく以下の通りなのであるが、高校入学までの、そして高校卒業までの私の読書量と書いた文章(主に手紙)の数は、今時の高校生ではちょっと太刀打ちできないと思う。だから、以下の話は狭義の「勉強法」であり、私の「学力」を支えたものはむしろ読書と手紙であって、以下にはないようにも思う。何が「学力」を作るかは難しい。あまり単純な読み方をしても、穿った読み方をしても墓穴を掘るかも知れない。単なる「読み物」として読み流すに限る。結局、勉強法など各自で考えるしかない、ということだ。


 塾に行かず、学校で渡されるもの以外に参考書も問題集も買わず、使わず、課外活動(主に部活)を熱心にやり、友達ともよく遊び、それでいて成績優秀、というのが高校時代の私・・・ではなくて(←日本語は面白い!)、高校時代の私の憧れの高校生であった。理屈よりも感性の問題である。だから、なぜそんな姿に憧れるかと尋ねられても困る。ただ私には、いくら成績が良くても、塾に通っているとか、たくさん参考書を持っているというのは、なぜか格好悪いことだったのである。

 そんな理想の高校生像に近づくべく努力はしたが、なかなか思い通りに行くものではない。それでも、人間の執着というのはなかなかのもので、塾には最後まで縁がなかったし(忙しくて塾になんか行っていられなかったのも事実)、参考書は買わず、問題集も初めて買ったのが3年生になってからで、しかも、一つの科目に2冊というのは無かったと思う。生徒会等様々な活動に没頭して友達はたくさんいたし、成績優秀というほどではなかったが、まぁこの辺の大学に、と思うような大学には入ったので、理想に7割くらいは近づいたように思う。

 私のような美意識を持っていると、勉強の方法は全く限られる。それは、同じテキストをひたすら繰り返してやるしかない、ということだ。そのような勉強法がいいと思って始めた訳ではないが、結果として、それは最善の方法であったと思う。

 思うに、自分自身なり、自分のやり方なりに迷いを持って、次々にやり方を変えるのは非常に悪い。それは、先日の進路講演会のY氏の言葉を裏返せば、「自分と向き合わず、他に責任を求め、言い訳をする」路線を進むことになるからだ。

 本を読んでいて、「あっ、この程度のことなら知っている(解る)」と思うことと、その本が書ける、というのは全く次元の違う話である。そして、知識が本当に自分のものになるというのは、後者のような状態になることであって、そこまで行って初めて、その知識を自由自在に使いこなせる、つまりは応用も可能になる。前者を「解る」と誤解している高校生は多い。

 私は、センター試験の前身である共通一次試験の第3回生である。今のセンター試験も同様だが、この試験は文科省(当時は文部省)が、絶対に教科書から逸脱した問題は出しません、と保証している。そこで、私は唯一策らしきものを弄した。それは、教科書取次書店という所に注文して、確か「地学」だったかの教科書を数種類取り寄せ(これが「参考書」を買ったのと同じであれば、自分の信条を裏切ったことになり、前言もウソになる。ごめんなさい)、比較読みをしたのである。全ての教科書に載っている共通した事柄からしか出題されないはずだから、それを突き止めようという作戦だった。これが思惑通りの効果を生んだかどうかは何とも言えないが、そうして比較しながら慎重・丁寧に数社の教科書をじっくり読むということには、前記の反復学習と同じ意味があった、と思う。結局のところ、大学入試のための勉強のようなのもの(=オリジナリティ不要)であれば、大切なのは、反復による徹底した定着である。一番いい勉強方法とは、一番安上がりな方法なのではあるまいか?

 私が受験勉強を始めたのは、高校2年生の1月だった。諸活動にうつつを抜かしているうちに、じりじりと成績は下がり、模試のデータシートはいかなる国立大学にも入れないことを示していた。焦りを感じたのも確かだが、「○○が終わったら始めよう」などと言っていたら、いつまで経っても何も始まらない、ということは当時既に分かっていた。スタートダッシュのよさによって、精神的には楽な状態を作ることが出来たものの、夏休み頃には飽きてしまい、秋以降、テンションを維持するのがなかなか大変だった。人間の緊張感・集中力なんて無限に続くものではない。本番に間に合い、かつ最も良いコンディションで臨めるように自分を持っていくことは、今でも難しい。