子ゆゑにこそ、よろづのあはれは思い知らるれ



 既に知る通り、事務室のWさんが亡くなった。35歳での急病死であった。明るく真面目な人柄で、楽しそうに本当によく仕事をしてくれていたし、私としては共に強歩大会を走った仲間としても親しい存在だった。一昨日は小論文クラスの生徒諸君に無理を言って時間を動かし、その告別式に参列した。なんとも苦しくつらい告別式であった。

 35歳での死というのは痛ましい。しかし、病死となればそれはやはり「運命」であり、「天寿」であって、同情しても仕方がなく、素直に受け入れるしかないのだろうと思う。人間(この場合「生き物」と言ってもいい)はもともと不公平なのだ。

 非常に幼い子供が二人残された。父親の死を全く理解することもなく、祖母に抱かれ続けていた子供の姿は、これも「運命」とはいえ、あまりにも痛々しかった。

 今年、年賀状を出さなかった代わりに書いた「寒中見舞い」に、私は『徒然草(第142段)』にある「子ゆゑにこそ、よろづのあはれは思い知らるれ」という言葉を引用した(これは兼好法師自身の言葉ではない。中に登場する「ある荒夷の恐ろしげなる(恐ろしげな風貌の荒武者)」の言葉である)。私も子供ができて初めて、「いとおしい」とか「かけがえがない」という言葉の本当の意味を知ったような気がする。私がいなくても、一高も石巻市宮城県も日本も、何の影響もなく存在し続けるであろう。私という存在はあまりにも小さく軽い。しかし、我が子ばかりはそうはいかない。私がいかにデタラメな人間だとしても、彼らにとっては巨大な存在なのだ。

 告別式でWさんの子供を見ながら涙が止まらず、「子ゆゑにこそ、よろずのあはれは思い知らるれ」は自分の子供に関してだけではなく、子供に関わるあらゆる場面で真実なのだ、と思った。Wさんのご冥福と共に、子ども達の健やかな成長を祈らずにはいられなかった。合掌。

(補)過去1年余りの間に、私の身近な所で、50歳未満にしてクモ膜下出血で亡くなったのが、これで3人目である。年齢を考えるに、多いと思う。いずれも「運命」なのだと思うが、この3人を思い出す時、共通点が一つだけある。それは、喫煙者だったということだ。そこに原因の一端がないのかどうか・・・?