沖縄訪問記(2)・・・軍用地と訃報



 旅行先で地方紙を読むのは楽しい。自宅にいて全国的な報道に接するだけでは見えてこない、その土地独自のいろいろな事情が見えるからである。

 沖縄では「琉球新報」「沖縄タイムズ」という新聞が発行されている。今や主要記事は、全国どこの新聞でもインターネットででも読む事が出来るが、全てが読めるわけではない。その土地独自の事情というものが最もよく表れているのは広告で、この点で、沖縄は極めつけの場所だった。正に文化が違うということを痛感したのである。


 まずは不動産売買の広告である。「軍用地」という種類の土地が結構売りに出ている。「嘉手納駐機場」などというものまであった。どうしてこのようなものが売りに出るのか、売買の形態は宅地や商業用地とどのように違うのか、事情が分からなければ広告そのものが読めない、というシロモノだ。帰って来てから、事情を調べてみた。(ネットで「アイキャン軍用地」というキーワードを入力して検索すると、非常に分かりやすい説明を読むことが出来る。)

 沖縄の軍用地は、そのほとんどが借地である。借地とは言っても、地主が自由に出来る余地はない(強制借用)。ただし、借地料は入る。これが、今時の預貯金金利よりもずいぶんいいらしい。だから、借地料を目当てに軍用地を所有するということがおこる。軍用地の値段は、通常の坪単価×坪数ではなく、借地料×倍数で表される。つまり「地料45万30倍」と書いてあれば、45×30=1350万というのが取引価格となる。倍数というのは、その土地の安定性(基地として存続し続け、借地料が毎年の改訂で確実に上がるかどうか)によって決まるようだ。だから、返還が合意されている普天間などは、売りの広告は見なかったが、多分買い手は見つかりにくく、売るとしても倍数は非常に低くなるだろう。もっとも、基地でなくなることによって宅地や商用地として高い値が付く可能性があるなら、その限りではない(一度に広大な土地が売りに出ることになるので、その可能性は低いだろうね)。

軍用地を投機の対象にしてしまうと、軍用地を持っている人は、安易に基地撤去を叫ぶことが出来なくなる。ひめゆり平和祈念資料館が政府の紐付きとなることを拒んだように、軍を否定するためには、軍から利益を得てはいけないのである。この意味で、軍用地の売買は非常に危ういものだ。


 もう一つは訃報である。私がここで時々取り上げる性質の訃報ではなく、平凡な個人が、お金を払って家族の死を報じるものである。

 沖縄の墓がとてつもなく巨大であることは有名で、今回の旅行でもその姿はずいぶんと目にすることが出来た。なるほど、戦時中、アメリカ軍がトーチカのような軍事施設と間違えたというのもさもありなん、と思わせるだけの巨大なものばかりだ。これは、墓に一族みんなが入るためであるという話は聞いたことがある。訃報にも、そのことが反映されているということである。

 つまり、訃報には一族が名を連ねている。平均で20〜25人、多いのになると40人を超える人の名前が書いてある。念のため確認しておくが、ごく平凡と思しき人の訃報である。子供とその姻族、孫、ひ孫、親戚代表、更には知人・友人代表・・・といった具合だ。参考までに、宮城県の新聞では、だいたい2〜3名のものが多い。沖縄はざっと10倍といったところである。

ちょうど、7月の末に、東京で戸籍上生きていたはずの113歳の老人が、実は30年ほども前に死んでいたというショッキングな話が表面化し、全国で、高齢者の実在確認があたふたと行われている。沖縄県が日本を代表する長寿県であることは周知の事実だが、全国で生存不明者の存在が続々と明らかになる中、その沖縄で、「琉球新報」が県内全市町村に問い合わせた結果、1000人近い100歳以上の人で不明者は(今のところ?)いないといち早く報道したのは、8月6日のことだった。

 核家族化の進んだ今日、親族が深く関わり合いながら生きていくことは煩わしいと感じられるのも事実であろうが、やはりそれは人間として自然な姿であろうと思われる。何十人もが名前を連ねる大きな訃報や巨大な墓は、そのような深い絆に基づく温かみのある人間社会の存在を示している。